表紙 > ~後漢 > 主要な論文を抜粋し、光武帝・劉秀の天下統一をまとめる

01) 劉秀が起兵、劉玄が即位

光武帝が天下統一する過程を、まとめる!史料読解の導入とする!

光武帝をまとめる方法

論文を読みながら、つなぎます。つまり、
狩野直禎『後漢政治史の研究』(同朋舎出版1993 )を抜粋して、基礎知識を獲得。狩野氏を背骨として、以下の論文を抜いて、注釈してゆく。敬称略。
木村正雄「前後漢交替期の農民叛乱-その展開過程-」、「両漢交替期の豪族叛乱-隗囂集団と公孫述集団-」、「劉永集団の形成と展開」(いずれも『中国古代農民叛乱の研究』東京大学出版会1979)

おなじ本にある論文で、木村氏は言葉を定義する。「第一次農地」「第二次農地」だ。「第一次」は、春秋時代から存在し、豪族が自前で生産できる県のこと。「第二次」は、秦漢時代に、中央権力が治水などをして、生産できるよう整備した県のこと。
「第一次」は、漢室による統治を、かならずしも求めない。豪族叛乱がおきて、漢室から自立したがる。「第二次」は、漢室による郡県の支配を期待する。「第二次」で統治がくずれると、農民叛乱がおきて、流浪する。
なお郡県支配とは、力役、兵役など徴税すること。集団の軍事力は、郡兵。

土屋紀義「一世紀前半の民衆叛乱集団に関する若干の問題」(青年中国研究者会議『中国民衆反乱の世界』汲古書院1983)、「両漢交替期における豪族の動向-民衆叛乱への対応をめぐって-」(同『続中国民衆反乱の世界』1986)
小嶋茂稔「後漢建国に至る政治過程の特質と郡県制」(『漢代国家統治の構造と展開』汲古書院2009)
今回のページは、小嶋氏の論文をもとに、作成を思いつきました。


緑林、下江、新市、平林

◆緑林集団
新市の王匡、王鳳は、訴訟をさばき、渠帥となる。亡命の馬武、王常、成丹がくわわる。緑林にかくれる。
馬武は、列伝12。王莽末に、章陵、西陽の三老が江夏で起兵したので、くわわる。王常は、列伝5、江夏に亡命。成丹は、専伝なし。
緑林が三老に組織されたのは、赤眉の樊崇が三老を号したのと、おなじ。
22年、緑林は、荊州牧をやぶり、5万にふくらむ。

◆下江、新市、平林集団
22年、南陽で飢饉。緑林の過半が死に、2つに分散。下江兵と、新市兵。
下江兵は、王常、成丹、臧宮がひきいる。臧宮は、頴川の人(列伝4)。下江兵は、頴川グループだと、狩野氏は推測する。新市兵は、王匡、王鳳がひきる。馬武らがくわわる。将軍を自称。おなじころ、陳牧、廖湛があつめた平林兵ができる。平林兵は、新市兵と呼応。
平林兵は、劉玄をふくむ。亡命した劉玄は、舂陵からくる。

木村氏はいう。南郡、南陽の南部、江夏などは、秦漢帝国によって整備された、第二次農地だ。緑林、下江、新市、平林は、第二次農地にいる農民叛乱だ。劉玄が緑林らのリーダーになるが、劉玄の集団の性質は、農民叛乱のまま。だから劉玄は、まともに郡県を統治することなく、赤眉らの期待(後述)をうらぎって、崩潰した。


劉縯と劉秀の起兵

◆南陽の劉氏
南陽の蔡陽にいる劉氏は、豪族と通婚した。宇都宮清吉『漢代社会経済史研究』。劉秀の母は、樊氏。
劉秀の兄・劉縯は、族兄の劉嘉とともに、長安でまなぶ。劉秀は、天鳳(14-19)、長安で『尚書』をまなぶ。『東観記』いわく、中大夫する廬江の許子威にまなぶ。同郷の、鄧禹、朱岑とまなぶ。

小嶋氏はいう。宇都宮清吉「劉秀と南陽」で、後漢は、南陽の豪族を母胎とするとされた。ちがう。南陽の劉氏は、劉玄の政権をささえた。劉秀は、南陽でなく河北を基盤とした。留意すべきは、劉玄からはなれ、自立したのは、劉秀だけだってこと。
ぼくは補う。むじんさんが「漢中王の劉嘉は?」と疑義をだした。劉嘉は、劉玄の漢中王になり、つぎに劉秀を支持した。独立はしていない。


◆劉縯の起兵
劉縯は、王莽に憤慨した。

『後漢書』劉縯を抄訳、更始帝に荊州北を奪われた敗者(光武帝の兄)
土屋氏はいう。劉縯の起兵は、「盗賊が群起」したから、それに対抗したもの。荊州は「州郡が制せられない」という情況だった。劉縯のような、武力ある人物が出てくる必要があった。汝南のいる赤眉が、西どなりの南陽をおどかした。だから、劉玄を更始帝にして、対抗した。南陽での赤眉は史料にないが、樊宏伝でうかがわれる。

李通が「劉氏、また起つ。李氏、輔となる」と説く。李賢は「漢の臣・李陽なり」と注釈する。地皇三年、劉秀は新野に亡命した。
『続漢書』で劉秀は、新野の鄧晨(列伝5)をたよる。狩野氏はいう。列伝は「世吏二千石」というが、ひく『東観記』で曾祖父は揚州刺史、祖父は交趾刺史という。列伝で父は豫章都尉という。二千石(太守)でない。
鄧晨は、劉秀の姉をめとる。鄧晨伝には、図讖の記事あり。「劉秀が天子になる」と聞き、みな国師公の劉歆だと思った。劉秀は、わがこととした。のちに桓譚は、図讖を喜ばず、劉秀に殺されかけた。

◆宛県の李氏
鄧晨のもとで劉秀は、宛県に穀物をうる。『東観記』で、劉秀のみ収穫できた。
宛県は、南陽の中心で、漢代10大都市(宇都宮清吉)の1つ。交通の要衝。北上すると洛陽。イク水で南下すると、襄陽。襄陽から、江陵、長沙にゆける。漢水から、武昌、長江下流へゆく。西には長安、東には山東。
宛県には、貨殖する李氏がいる。『漢書』地理志で、宛県は工官や鉄官がいる。『史記』貨殖列伝で、宛県に孔氏がいる。李通は列伝5。李通の従兄は、李軼。李軼は、劉縯をかついだ。
劉縯伝で、新野の鄧晨、宛県の李通、舂陵の劉縯が、同時に挙兵した。だが本紀では、諸家は劉縯にしたがわず、劉秀の軍装に安心した。

宛県で起兵した時期は、ズレる。本紀は10月。李通伝の注釈は、9月。

土屋氏はいう。豪族の起兵の特徴。
「賓客」とともに起兵すると、劉玄伝にある。陰識伝、劉植伝、耿純伝、臧宮伝にある。張宗伝、賈復伝でも「賓客」がある。また南陽の劉氏は「子弟や宗族」と起兵する。王丹伝、耿嵩伝、馮勤伝、虞延伝にある。在地の血縁とむすび、社会の混乱から自衛したのだ。
また劉縯は「弟」の劉秀に、宛県をまかせた。血縁にまかせるのは、劉植伝、耿純伝、張歩伝、劉永伝にある。兄弟は、重要である。
さらに共通点は、民衆叛乱を征圧したら、とりこむ。劉秀、張歩、劉永がおなじ。呉漢伝にもある。銅馬帝となる、劉秀もおなじ。劉秀、張歩、劉永、王郎は、同質の集団。
ぼくは思う。劉縯の起兵にかこつけ、だいぶ人名を先どりしてしまった。後述あり。


南陽豪族の動向

起兵の主力は、新市、平林。南陽の豪族で、起兵にくわわるのは、鄧晨、李通・李鉄、新野の陰識、宛県の朱祐、棘陽の馬成のみ。まだすくない。
劉嘉、劉良、劉祉、劉賜(列伝4)がくわわる。劉良は、劉秀が起兵にくわわることを、意外がった。

李通の父・李守は、李通が挙兵したので、長安で殺された。王莽に反感があっても、起兵する必然性はない。
劉縯は、湖陽の県尉を殺す。湖陽には、劉縯の母・樊氏がいる。樊宏の妻は、劉賜の妹。通婚関係があるが、樊氏は自守して、劉氏にくわわらず。樊宏の妻子は、王莽にとわられた。樊宏は、劉縯のもとへ使者した。だが樊氏は、王莽にも劉縯にも、味方せず。
ほかに豪族で、湖陽の馮氏(列伝23)がある。馮氏も自守した。建武三年(27)、劉秀に参加した。自守するのが、豪族の行動パタン。

狩野氏はいう。豪族の建前は、反王莽=劉氏復興であっても、本音は、みずからの勢力維持・発展にある。樊宏は、更始帝が即位したのち、将軍になれと求められたとき、叩頭して「書生は、兵事を習わず」と辞した。室家親属で、営塹をつくり自守した。豪族の心情をあらわす。
土屋氏はいう。南陽の湖陽には、樊宏伝、馮ホウ伝に、「営塹」が記される。堀割をつくて、防衛した。水をひける南陽の地形ゆえ、堀割した。樊宏伝と馮ホウ伝によると、湖陽の県城のそとに「営塹」 があったとわかる。第二の拠点として、自衛する準備があった。杜茂伝、銚期伝もおなじ。「屯聚」「塢壁」「営保」は、全土にある。土屋氏が、列伝から事例をひいた。豪族は自衛しつつ、上位の権力集団をささえた。
「営保」が出現するのは、『漢書』の翟義伝、王莽伝上からだ。王莽のときから、流民がふえた。豪族は、官憲と対立し、流民をふせぐ必要が生じた。樊陵伝に「重堂高閣」をそなえた「廬舎」がある。用例は、耿純伝、馬防伝、張禹伝、姜肱伝、馬援伝など。「廬」とは、もとは農作業をするため、耕地に隣接した家屋を意味する。仮り屋の意味である。本貫の県城のとなりに、豪族は、仮屋をつくった。儒林伝で「廬舎」で学問の講義をした。県城のそとで、教授もしたのだ。
郡県支配がおこなわれず、旧来の支配権力(漢新帝国)が、民衆叛乱をおさえられない。だから豪族は、県城のそとに「営保」をつくった。


劉縯は、王莽軍の甄阜、梁丘賜にやぶれ、棘陽にゆく。
劉縯が小長安で敗戦すると、鄧晨は、家墓を焼かれた。宗族は鄧晨に怒った。「家が富めばよい。婚姻する劉氏をたすけ、災難をまねくな」と。鄧晨は、そのとおりだとした。豪族の本心は、自守である。
魯陽の張宗(列伝28)は、王莽のとき、陽泉の郷佐となる。張宗は、劉氏に参加せず。のちに鄧禹をはさみ、劉秀につかえるまで、別行動する。

更始帝の即位

新市、緑林は劉縯をはなれたい。下江の王常が、配下を説得してくれたので、劉縯は下江兵をもらった。地皇四年(23)、劉縯は、宛城をかこむ。王莽は、劉縯のイラストを弓で射た。
劉氏が10余万にふくれたので、皇帝をたてたい。新市、平林が、劉玄を推した。更始元年として、更始帝をたてた。劉秀は、太常、偏将軍となる。

このときの官位・爵位は、以下にあり。新市がえらい。
『後漢書』劉玄伝を抄訳、袁術が目標とした、一番のりの皇帝


つぎは、更始帝がはいったときの関中の情勢。つづく。