6)南燕を滅ぼす
桓玄が持っていなかったものを、手に入れる。
劉裕は北伐を始めました。
南燕との戦い
鮮卑の慕容德は、青州で燕王を名乗った。南燕だ。慕容徳が死ぬと、兄子の慕容超が継いだ。東晋の国境を侵して、ウザかった。406年、劉裕は南燕の征伐を始めた。
水軍は建康を出て、淮水を遡って泗水に入った。東晋の軍は、下邳に到った。
東晋を見て、南燕は相談を始めた。
「粟苗を刈り取ってしまい、堅壁清野で東晋を迎え撃ちましょう。東晋軍は、兵糧が続かず、まもなく諦めるでしょう」
「そうではない。劉裕は遠征して疲れている。弱いはずだ。わが南燕の鉄騎は強い。絶対に勝てる。もし穀物の畑をメチャメチャにすれば、我が国がしんどくなるだろう」
堅壁清野を却下したのは、新君主の慕容超である。『三国志』で益州の劉璋は、忍びないから堅壁清野を拒んだ。だが鮮卑は、ケチッて拒んだ。ネタバレすると、この卑しさゆえに、南燕は敗れた。慕容超の器量は知らないが、敗者を弁護する人はいません。
じつは東晋は、戦う前から不利である。
堅壁清野をやられて兵糧が現地調達できなくても、鮮卑の鉄騎と戦っても、東晋は危機である。さっき南燕の人が、2択の議論をしていたけれど、どちらに傾いても、東晋は困るのだ。だから人々は、劉裕の北伐に反対した。劉裕は諭した。
「鮮卑ってのは貪婪で、遠計をめぐらすことができない。進んでは手柄を立てようとし、退いては粟苗を惜しむ。もし堅壁清野をやられたら、東晋は確かにやばい。だが鮮卑は、堅壁清野をやらない。鮮卑は、東晋の強さを見くびり、城を守るだろう。城を守れば、鮮卑の強みである鉄騎は、活かされない。それなら勝機がある」
幾重もの仮定に基づいた、危うい作戦ですね(笑)
劉裕は進軍した。粟苗が刈り取られていないのを見て、劉裕は手を上げて、天を指して言った。
「これで、うまくいくぞ」
この決め台詞は格好いい。だが裏を返せば、粟苗が刈り取られている可能性が、充分にあったってこと。劉裕は、自分の仮定が崩れるのを、懼れていたということ。鮮卑の愚かさが自明なら、劉裕は喜ばなかったよなあ。
後秦との駆け引き
南燕は、東晋の進軍を知った。
「急いで防げ。東晋が河川に入ってしまえば、手ごわくなる」
南船北馬の得意分野は、この時代も同じです。東晋は、南燕に勝った。戦闘の経緯とか、活躍した司令官の名前が、本紀にはちゃんと書いてあるけど、省略です。
後秦の姚興が、劉裕に使者を遣した。
「慕容氏の南燕は、オレの同盟国である。南燕がピンチになれば、オレは鉄騎10万を率いて、東晋を攻めるぞ。洛陽に進駐した。オレたち後秦を敵に回したくなければ、撤退せよ」
劉裕は、使者に返答した。
「姚興に言っておけ。私が南燕を平定したら、関中と洛陽を平定するつもりである。洛陽を渡さないと言うなら、さっさと戦いに来いよ」
劉裕の言葉を聴いた人は、劉裕に注意した。
「よく考えてものを言うべきです。なぜ、軽率に姚興を徴発したんですか。まだ戦況が詳しく分かっていない。東晋の怖さは姚興に伝わらず、ただ姚興を怒らせただけですよ。姚興の援軍が来て、南燕に勝てなくなったら、どうするですか」
劉裕は笑った。
「軍人にしか分からない、戦争の勘がある。わざわざ言葉で語る必要はない。姚興は、私に動きを読まれていると思い、ビビるだろう。姚興が怖気づけば、南燕を討つことができる」
このあたりの仮説思考が、劉裕の持ち味です。後世人のぼくは、当たり前のことを言いますが、仮説が当たった人が勝ち、仮説が外れた人が負けるのです。世の中には仮説を立てずに、ボケッとしている人がいますが、それは論外ということで。
軍人としての嗅覚は、文字史料にはうまく載らない。検証が難しい。
盧循の乱
南燕は滅びた。
好調に見えた北伐だが、国許が揺らいで、劉裕は撤退をする羽目になる。孫恩の残党・盧循をそそのかした人がいた。
「劉裕は国外に攻め出ています。もし劉裕が凱旋すれば、豫章に戻ってきて、次にはあなたが討たれます。劉裕が留守のうちに挙兵すれば、成功するでしょう」
天下に対する大志とか、そういう言葉では、盧循の思惑は語られていません。ただ叛逆をするだけの人物です。天下の視点ではなく、せいぜい1郡の視野しか持たない人物として、描かれている。
だが意外に強くて、かつて桓玄を討った将軍たちは、つぎつぎ敗れた。
劉裕が出陣した。劉裕が持っている旗竿が折れて、水に沈んだ。劉裕の兵は、不吉だと騒いだ。劉裕は笑った。
「むかし水戦で勝ったとき、旗竿が折れた。いまも旗竿が折れた。ふたたび勝てる証拠である」
漢魏の迷信深い人たちとは違う。ふつう将帥の旗竿が折れたら、将帥が戦死する兆候である。でも劉裕は、信じない。ところが、迷信が大衆を動かすことは理解していて、縁起を担ぎなおして宥めた。
東晋皇帝を敬っていないくせに、桓玄を討つときには、東晋の忠臣たちを鼓舞した。旗竿が折れたときの対応と、同じ構図である。漢魏の価値観を、横目で冷静に分析している劉裕に、晋は滅ぼされるのです。