表紙 > 漢文和訳 > 『宋書』本紀第一「武帝紀」を読む/劉裕の伝記

9)儒教の夢を終わらせた劉裕

劉裕は、洛陽と長安を取り戻すという「手続き」をした。
ついに東晋を潰しにかかります。

東晋皇帝を殺す

418年正月、本拠の彭城に戻った。宋の役人の任命を始めた。
長安に匈奴が侵入し、息子が死に掛けたが、気にしなーい。

418年12月、東晋の安帝が崩じた。
『宋書』にはこれしか書いていないが、劉裕が殺したのである。皇帝を殺したのは、後漢の梁冀と董卓、曹魏の司馬昭、くらいのものか。都合が悪いので、詳しい経緯は本紀には書かれていない。

419年7月、宋王となる。8月、寿春に移る。
420年4月、建康に入る。6月、禅譲を受ける。
「歸禪于宋、一依唐虞、漢魏故事
というわけで、
東晋皇帝が、禅譲の文章を書いた。左右の人は言った。
「桓玄のときに、すでに天命は改まっていた。劉裕さんのおかげで、東晋は20年も延長された。東晋が滅びて劉裕に皇位が移るのは、すんなり納得がいくことだ」
いかにも宋側から見たロジックですが、確かに現実はそうだったのでしょう。力がなくても伝統の重みがある皇帝から、実際に力のある皇帝へ。虚飾を暴いたのが、劉裕でした。
劉裕がここでパラダイムの転換をしてしまったせいで、南朝では皇帝の周囲で殺し合いが耐えないのだが。人命尊重が無条件に是とされるなら、劉裕は大悪人である。せっかく共同幻想を抱いて、東晋はいちおうは治まっていたのだから。

ぼくの劉裕の評価

劉裕は、儒教国家を終わらせた人だと思う。
後漢・曹魏・両晋の人が、
「帝国はこうあるべきだ、皇帝はこういうものだ」
と、儒教で色づけて信じていたものを、否定した。

前漢末から、王莽と後漢を経て、漢族は単なるパワーゲームをやめた。儒教に基づく正統論に従って、国家を営むようになった。それを、劉裕がほとんどやめにした。
儒教が浸透する以前、たとえば、前漢の劉邦(高帝)から劉徹(武帝)までの時代のように、強いものが勝つ時代に逆戻りさせた。
劉裕は、劉邦の子・劉交の末裔を名乗った。劉交が生きたのは、前漢の建国直後や、呉楚七国の乱あたり。強い者が勝つ時代である。皇帝は皇帝だから偉いのではなく、強いから偉かった。
劉裕は、儒教の夢から漢族を覚まさせる仕事をしたんだと思う。

1日が終わり、眠りにつく。夢をたくさん見る。目が覚める。目が覚めれば、眠る前の続きから、1日が始まる。劉裕は、目覚まし時計だったわけだ。夢から醒めるのが、必ずしも正しいことだとは思わないが、とにかく目が覚めたら、夢の続きは見れない。
歴史は、殺伐とした南北朝時代へと映っていきます。090911

さっきの夢の比喩について、ちょっと補足。 『三国志』は、夢の中でももっともスリリングな場面です。儒教がかかげた国家像に影響されて、三国がそれぞれ別の悩みを抱えて、物語を紡いでくれるのだから。
曹操や劉備が死んでから200年も未来の話をサイトにアップしていますが、ぼくの軸足は今でも三国時代にあります。