表紙 > 漢文和訳 > 『魏書』列伝84「僭晉司馬叡」を翻訳/北魏目線の東晋

5)蘇峻に監禁された成帝

明帝が死に、成帝の時代へ。
諱で書くから、どの皇帝のことを言っているか分からなくなる。

またもや、君主を上回る蘇峻

衍曆陽太守蘇峻不順於衍,衍護軍庾亮曰:「蘇峻豺狼,終為禍亂,晁錯所謂削之亦反,不削亦反,削之反速而禍小,不削反遲而禍大。」乃以大司農征之,令峻弟逸領峻部曲。征書至,峻怒曰:「庚亮專擅,欲誘殺我也。」阜陵令匡術、樂安人任讓並為峻謀主,勸峻誅亮。乃使使推崇祖約,共討亮,約大喜。於是約命兄逖子沛國內使渙、女婿淮南太守許柳將兵會峻。峻使其党韓光,光名犯恭宗廟諱,入姑熟,殺于湖令陶馥,殘掠而還。

歴陽太守の蘇峻は、司馬衍(成帝)に従わなかった。

『魏書』が言いたいのは、東晋では、君臣の「順逆」がおかしいことだ。成帝の話も、ここに特化させるつもりらしい。

護軍の庾亮が言った。
「蘇峻は豺狼(ヤマイヌやオオカミ)です。禍乱を起こすでしょう。晁錯が言っていました。蘇峻は、朝廷が彼の権勢を削げば叛き、権勢を削がなくても叛くでしょうと。どのみち蘇峻が叛くなら、権勢を削いで叛かせたほうが、膿出しが早く終わり、禍いが小さいでしょう。権勢を削がずに、蘇峻に叛かれたら、長期化しますし、禍いも大きい」
庾亮に賛成した司馬衍は、大司農に命じ、書を蘇峻に送った。
「蘇峻の弟の蘇逸が、蘇峻の部曲を管理せよ」

蘇峻が使える兵力を取り上げた。と言っても、移った先は弟だが。いきなり没収する理由と強制力は、東晋皇帝にはなかったのだろう。

蘇峻は、怒った。
庾亮が專擅し、私を殺そうとしている」
阜陵令の匡術と、樂安人の任讓は、蘇峻のために謀略をめぐらし、庾亮を誅するよう勧めた。蘇峻から祖約に、ともに庾亮を討とうと誘った。祖約は、大いに喜んだ。
祖約の兄・祖逖の子で、沛國內使の祖渙と、祖約の女婿で淮南太守の許柳は、兵を率いて蘇峻に合流した。蘇峻は、郎党の韓光とともに姑熟に入った。韓光の名は、北魏の恭宗の廟諱を犯すから変えて書いてある。

北魏の歴代君主の諱が分からんので、韓光の本名はまた今度。

韓光は、湖令の陶馥を殺して、領民を殘掠して還った。

衍假庾亮節為征討都督,使其右衛將軍趙胤、右將軍司馬流率眾次於慈湖。韓光晨襲流,殺之。衍以其驍騎將軍鐘雅為前鋒監軍,假節,率舟軍拒峻。宣城內史桓彝統吏士次於蕪湖,韓光敗之,大掠宣城諸縣而還。江州刺史溫嶠使督護王愆期、西陽太守鄧岱、鄱陽太守紀睦等以舟軍赴於建業。衍期,岱次直瀆,峻督眾二萬濟自橫江,登牛渚山。愆期等邀擊不制。峻至於蔣山,衍假領軍卞壺節,率諸將陳兵。衍之將怯兵弱,為峻所敗,卞壺及其二子、丹陽尹羊曼、黃門侍郎周導、廬江太守陶瞻、散騎侍郎任台等皆死,死者三千余人。庾亮兵敗,與三弟奔于柴桑。

戦闘の経過は、いちいち訳しません。蘇峻が強くて、司馬衍と庾亮は、ボロボロに負けました。

峻遂焚衍宮,君賊突掠,百僚奔散,唯有米數石而已,無以自供。峻逼衍大赦,庾亮兄弟不在赦限。峻以祖約為太尉、尚書令,加侍中,自為驃騎將軍、領軍將軍、錄尚書事。於是建業荒毀,奔投吳會者十八九。

蘇峻は、司馬衍の宮殿を焼き払った。君賊は突掠し、百僚は奔散した。司馬衍の手元には、米が数石あっただけで、食料が不足した。蘇峻は、司馬衍に逼って、大赦させた。だが庾亮の兄弟だけは、赦されなかった。
蘇峻は、祖約を太尉、尚書令として、侍中を加えた。蘇峻は自ら、驃騎將軍、領軍將軍、録尚書事となった。建業は荒毀して、呉郡や会稽郡に疎開した人は、10人中8、9人にのぼった。

溫嶠聞之,移告征鎮州郡。庾亮至盆口,嶠分兵配給。又招衍荊州刺史陶侃欲共討峻。侃不從,曰:「吾疆場外將,本非顧命大臣,今日之事,所不敢當。」時侃子為峻所害,峻複喻侃曰:「蘇峻遂得志,四海雖廣,公甯有容足地乎?賢子越騎酷沒,天下為公痛心,況慈父之情哉!」侃乃許之。

温嶠は建業の様子を聞き、鎮台や州郡に知らせて移った。庾亮が盆口に到った。温嶠は兵を分けて、庾亮に与えた。また温嶠は、司馬衍を招いた。温嶠は、荊州刺史の陶侃に、ともに蘇峻を討ちたいと持ちかけた。陶侃は温嶠に従わず、言った。
「私は荊州に自前で勢力を築きました。もともと東晋皇帝に、任命してもらったのではありません。東晋皇帝がピンチでも、わざわざ私が助ける義理がありません」

陶侃はけっきょく司馬衍に味方してくれるのだが、『魏書』は陶侃の本心を敢えて拾った。むしろこちらがリアルかも知れないが。

陶侃の子が蘇峻に殺害された。温嶠は、蘇峻にふたたび言った。

原文は「峻は」になってますが、「嶠は」のミスでは?テキストをもらったサイトが違うのか、ぼくの読み方が違うのか。

「蘇峻は、ついに志を得ました。四海は広しと言えども、あなたが拠って立つスペースが残るでしょうか。あなたの賢い子は、蘇峻に殺された。天下はあなたのために、心を痛めています。まして、子を殺された慈父の感情は、蘇峻を許すことができますか」
陶侃はついに、温嶠の説得を受け入れ、蘇峻と敵対した。

「東晋のため」に陶侃は挙兵していない。自分の勢力圏を保つため、子の仇を取るため、に蘇峻の鎮圧を志した。『晋書』では、こうはなるまい。


司馬衍を救出できるか

蘇峻屯于於湖。衍母庾氏憂怖而死。蘇峻聞兵起,自姑孰還建業,屯於石頭。使其党張瑾、管商率眾拒諸軍,逼遷衍於石頭」衍哀泣升車,宮人盡哭,隨從衍者,莫不流涕。峻以倉屋為宮,使鄉人許方為司馬,督將兵守衛。陶侃、庚亮、溫嶠率舟軍二萬至於石頭,俄引還,次於蔡洲沙門浦。

蘇峻は、湖に駐屯した。司馬衍の母・庾氏は、蘇峻を憂怖して死んだ。
蘇峻は、東晋方が兵を起こしたと聞いて、姑孰から建業に還り、石頭に駐屯した。 蘇峻は、与党の張瑾、管商に兵を率いさせ、東晋方を防がせた。
蘇峻方は司馬衍に逼って、石頭に押し込めた。司馬衍は哀泣して車に乗った。宮人はみな哭いた。司馬衍に隨從する人で、流涕しない人はいなかった。蘇峻は、倉屋を司馬衍の居場所に宛てがった。蘇峻は、同郷人の許方を司馬として、將兵を監督させ、司馬衍を守衛した。
陶侃、庚亮、温嶠は、水軍2万を率いて、石頭に到った。だが俄かに引き返して、蔡洲の沙門浦に入った。

庾亮守白石壘,詰朝,峻將萬餘人攻之。亮等逆擊,峻退。吳國內史庾冰率三吳之眾驟戰,不勝。瑾、商等破庾冰前軍於無錫,焚掠肆意。韓光攻宣城內史桓彝,彝率吏民力戰不勝,為光所殺。祖約為潁川人陳光率其屬攻之,約乃奔于曆陽。長樂人賈寧勸峻殺王導,盡誅諸大臣,峻不從,乃改計叛峻。王導使袁耽潛誘納之,謀奉衍出奔溫嶠。

庾亮は白石壘を守り、司馬衍の救出を図った。蘇峻は萬餘人を率いて、庾亮を迎え撃った。庾亮は蘇峻を破り、蘇峻は後退した。呉國内史の庾冰は、三呉の兵を率いて参戦したが、蘇峻に敗れた。蘇峻方の張瑾、管商は、庾冰の前軍を、無錫で破り、焼き払ってほしいままに掠奪した。
韓光は、宣城内史の桓彝を攻めた。桓彝は吏民を率いて力戰したが、勝てず、韓光に殺された。祖約は、潁川人の陳光のために、蘇峻方を攻めた。だが祖約は敗れ、歴陽に逃げた。
長樂人の賈寧は、蘇峻に、王導を殺して、諸大臣を皆殺しにするように勧めた。蘇峻は聞き入れなかった。

すごいことを言ったものだ!

賈寧は意見を変えて、蘇峻に叛いた。王導は、ひそかに袁耽に頼み、司馬衍を蘇峻の元から脱出させる作戦を立てた。

また原文で「嶠」と「峻」がひっくり返っている気が・・・


次回、東晋が蘇峻に挑みます。