表紙 > 漢文和訳 > 『魏書』列伝84「僭晉司馬叡」を翻訳/北魏目線の東晋

7)司馬昱の大きな挫折感

いちどは長安を攻め損ねた桓温ですが、諦めません。

不吉を選んだ、司馬丕

聃死,無子,立衍子丕,號年隆和。時謠曰:「升平不滿鬥,隆和那得久。」改為興寧,又謠曰:「雖複改興寧,亦自無聊生。」丕死,弟弈立,號年曰太和。

司馬聃が死んだ。子が無かったので、司馬衍の子・司馬丕が立った。年号は「隆和」である。
ときに童謡がうたわれた。
「升平は短期間で終わるが、隆和は長続きするぞ
ほどなく年号は、「隆和」から「興寧」に改められた。童謡に曰く、
「隆和から興寧に変わった。わざわざ心配事を作り出した」

童謡がせっかく祝福してくれた「隆和」を、辞めてしまった。東晋は、天命に逆らって、いらんことをした。この文脈で次に来るのは・・・

司馬丕が死んだ。弟の司馬弈が皇帝に立った。年号は「太和」だ。

言わんこっちゃない、と『魏書』は理由づけた。ところで司馬丕の死は、これで充分に説明されたのか?うーん・・・

桓温の北伐失敗

桓溫率眾北討慕容暐,至金鄉,鑿钜野三百餘裏以通舟軍,自清水入河。慕容垂逆擊破之,獲其資仗。溫之北引也,先命西中郎將袁真及趙悅開石門,而袁真等停于梁宋,石門不通,糧竭。溫自枋頭回軍,垂以步騎數萬追及襄邑,大敗溫軍。

桓温は北伐して、慕容暐を討った。
至金鄉,鑿钜野三百餘裏以通舟軍,自清水入河。慕容垂逆擊破之,獲其資仗。溫之北引也,先命西中郎將袁真及趙悅開石門,而袁真等停于梁宋,石門不通,糧竭。溫自枋頭回軍,垂以步騎數萬追及襄邑,大敗溫軍。

桓温の枋頭での大敗北だ。桓温の外征における挫折を決めた、重要な戦いだ。戦闘シーンは、翻訳作業的には退屈なので、手を抜いてます。


溫遂歸罪袁真,除名削爵,收節傳。真子雙之等殺梁國內史朱憲,真據壽陽以叛,真諸子兄弟阻兵自守,招誘陸城戍將陳郡太守朱輔數千人。遣參軍爨亮通慕容暐,又遣使西降苻堅。真病死,輔立其嫡子瑾為使持節、建威將軍、豫州刺史。瑾弟四五人皆領兵。暐令陳文報爨亮,且以觀變。桓溫遣督護竺瑤以軍沂淮伐瑾,瑤次於肥口,屢戰。慕容暐假瑾征南將軍、揚州刺史、宣城公,瑾弟泓等皆郡守、四品將軍,朱輔亦如之。溫乃伐瑾,瑾等拒戰,於是築長圍守之,城中震潰,遂平瑾。

溫遂歸罪袁真,除名削爵,收節傳。袁真の子である袁雙之らは、殺梁國內史朱憲,真據壽陽以叛,真諸子兄弟阻兵自守,招誘陸城戍將陳郡太守朱輔數千人。
袁真は、參軍の爨亮に命じて、慕容暐と通じた。また袁真は、爨亮を西に行かせ、苻堅に降伏した。
袁真が病死した。周囲は、袁真の嫡子・袁瑾を助けて、使持節、建威將軍、豫州刺史とした。瑾弟四五人皆領兵。暐令陳文報爨亮,且以觀變。桓溫遣督護竺瑤以軍沂淮伐瑾,瑤次於肥口,屢戰。慕容暐假瑾征南將軍、揚州刺史、宣城公,瑾弟泓等皆郡守、四品將軍,朱輔亦如之。溫乃伐瑾,瑾等拒戰,於是築長圍守之,城中震潰,遂平瑾。

慕容部&袁氏と、桓温との戦い。桓温の勝ち。前に訳した『晋書』の桓温伝とあまり変わりがなく、興味深い褒貶が加えられていないので、訳を手抜き。


桓温による、皇帝廃立

初溫任兼將相,其不臣之心,形於音氣,曾臥對親僚,撫枕而起曰:「為爾寂寂將為文、景所笑。」眾莫敢對。後悉眾北討,冀成陵奪之勢。及枋頭奔敗,知民望之去己,既平瑾,問中書郎郗超曰:「足以雪枋頭之恥乎?」超曰:「此未厭有識之情也。公六十之年,敗于大舉,不建不世之勳,不足以鎮愜民望。」因說溫以廢立之事。溫既宿有此謀,深納超言。

はじめ桓温は、将軍と宰相を兼任した。不臣之心が、音氣に表れていた。
かつて桓温は、親しい幕僚と、横になって喋った。枕を撫で、起き上がって言った。
「アレのために寂寂としていたら、司馬師、司馬昭に笑われちゃうぜ
幕僚たちは、何とも答えられなかった。

『晋書』の列伝に同じ言葉がある。訳し方が難しい。アレというのは、皇帝を殺して、自分が帝位に就くことかな。空気感が再現できない。

のちに東晋の兵権を全て握り、桓温は洛陽を取り戻す勢いだった。枋頭で敗北して、民望が自分から去ったことを、桓温は知った。袁真の子・袁瑾を平定したとき、中書郎の郗超に聞いた。
「袁瑾を倒したことは、枋頭で敗れた恥を雪ぐのに足りるかな」

枋頭で桓温を破ったのは、慕容暐だ。袁瑾を支援していたのも、慕容暐だ。同じ相手に、リターンマッチで勝ったことになる。

郗超は言った。
「有識者の気持ちは、満足しておりません。桓温さんは60歳にて、大敗北をしました。世を蓋う勲功はありません。民の望みを鎮めていません」
郗超は、桓温に廃立(皇帝のチェンジ)を勧めた。

郗超もまた、不臣のヤカラとして描かれる。取り替えられた皇帝から見れば、「桓温は私を皇帝に就けてくれた大恩人だ」となる。めでたく桓温は、手柄を積み、有識や人民から支持される・・・というロジックだ。
廃された皇帝の気持ちはどうなるの?・・・曹髦に聞いてみたい(笑)曹髦は廃されたのではなく殺されたから、聞くのはムリだよ!というツッコミは、無用です。だって曹奐もすでに死人じゃないか。下らねえ。。

桓温には、すでに廃立のプランがあったから、郗超の言葉を深く受け入れた。

溫自廣陵將旋鎮姑孰。至於白石,乃言其主弈少同閹人之疾,初在東海、琅邪國,親近嬖人相龍、朱靈寶等並侍臥內,而美人田氏、孟氏遂生三男。眾致疑惑,然莫能審其虛實。至是,將建儲立王,溫因之以定廢立之計。遂率百僚並還朝堂。溫率眾入,屯兵宮門,進坐殿庭,使督護竺瑤、散騎侍郎劉亨取奕璽綬。奕著白袷單衣,步下西堂,登犢車。君臣拜辭,皆殞涕。侍御史將百余人,送出神虎門,入東海第。於是迎司馬昱而立之。

桓温は、廣陵から姑孰に移った。白石に来たとき桓温は、司馬弈は若くして、生殖能力がないことを指摘した。
はじめ司馬奕が、東海国や琅邪國で王だったときのこと。嬖人の相龍や朱靈寶らは、司馬奕のそばで寝た。司馬奕の美人である田氏、孟氏は、3人の男子を産んだ。司馬奕の子ではない疑惑があるが、これまで真相は解明されなかった。
3人の男子を、藩王に立てようというタイミングで、桓温は皇帝のチェンジを言い出した。
桓温は百僚を率いて、朝堂に還った。桓温は兵を率いて、朝堂に入った。兵を宮門に屯させ、桓温は殿庭に進んだ。桓温は、督護の竺瑤、散騎侍郎の劉亨に命じて、司馬奕から璽綬を取り上げた。司馬奕は、白袷單衣を著し、西堂を歩いて下り、犢車に登った。
君臣は拜辭し、みな殞涕した。侍御史は百余人を率いて、神虎門から司馬奕を送り出した。司馬奕は、東海王の屋形に入った。司馬昱が、東晋皇帝に立った。

これが簡文帝である。


昱,叡子也。昱東向流涕,拜受璽綬。昱既僭立,改年曰咸安,以溫依諸葛亮故事,甲仗入殿,進丞相,其大司馬等皆如故,留鎮建業。以奕為海西縣公。

司馬昱は、司馬睿の子である。
司馬昱は、東に向けて流涕し、璽綬を拜受した。司馬昱が僭立し、「咸安」と改元された。
桓温は、諸葛亮の故事に依り、甲仗入殿、丞相に進んだ。桓温は、大司馬などの官位をそのまま続けた。桓温は、建業を鎮った。
廃帝の司馬奕は、海西縣公になった。

司馬昱のおびえ

溫常有大志,昱心不自安,謂中書郎郗超曰:「命之修短,本所不計,故當無複近日事邪?」超父愔為會稽太守,超假還東,昱謂之曰:「致意尊公,家國之事,遂至於此。由吾不能以道匡衛,思患豫防,愧歎之深,言何能喻!」又誦庾闡詩雲:「志士痛朝危,忠臣哀主辱。」因泣下。

桓温には、つねに大志があった。司馬昱は安心できない。司馬昱は、中書郎の郗超に言った。
「命運の長短は、もとより計れないものだ。近日のこと(廃立=次は桓温の簒奪)がふたたびあるのかも知れない」
郗超の父・郗愔は、會稽太守だった。郗超がちょっと東(会稽)に戻ったとき、司馬昱は郗超に言った。
「私の本意は、あなたに伝わっているでしょう。司馬氏と国家のことは、ついにこんな風に(桓温に簒奪されそうに)なってしまった。私には東晋を救うことができない。この愧歎の深さを、どう言い表したらよいだろうか」
また別のとき、庾闡の詩を口ずさんだ。
「志士は朝の危たるを痛み、忠臣は主の辱たるを哀しむ」
司馬昱は(心中がうまく表現されたので)泣きまくった。

『晋書』の司馬昱は、即位してすぐ死んだだけ。無気力な皇帝で、むしろ桓温をガッカリさせたほど。東晋に執着し、泣きまくる司馬昱も文献に伝わっていただろうが、『魏書』と『晋書』でキャラが違う。


昱疾,與溫書曰:「吾遂委篤,足下便入,冀得相見,不謂疾患,遂至於此。今者惙然,勢不復久,且雖有詔,豈複相及。慨恨兼深,如何可言!天下艱難,而昌明幼沖眇然,非阿衡輔導之訓,當何以寧濟也?國事家計,一托於公。」

司馬昱は病気に倒れた。司馬昱は、桓温に書状を与えた。
「わたしは危篤だ。桓温と面会したい。だから病気を押して、私は北に来た。時世は惙然とし、東晋の国勢はもう長くない。詔にどう書いても、現実はその通りにならんだろう。慨恨は、かねてより深い。もう、なんと言ったらよいか、分からん。天下は艱難だが、私の子で次の皇帝・司馬昌明は幼沖で眇然だ。國事家計を、全て桓温さんに托すから、東晋と幼帝を輔けてくれ」