表紙 > 漢文和訳 > 『魏書』列伝84「僭晉司馬叡」を翻訳/北魏目線の東晋

9)皇帝権力の初勝利

司馬徳宗は、東晋を強化できるのでしょうか。

正義派の登場

德宗既立,改年為隆安。以道子為太傅、揚州牧、中書監,加殊禮,黃鉞、羽葆、鼓吹,又增甲仗百人入殿。既而內外眾事必先關於道子。尚書僕射王國寶輕薄無行,為道子所親,權震建業,擅取東宮兵以配己府。道子以王緒為輔國將軍、琅邪內史,又輒並石頭之兵,屯於建業。緒猶領其從事中郎,居中用事,寵倖當政。

司馬德宗が即位し、隆安と改元された。
司馬道子が太傅、揚州牧、中書監となり、殊禮を加えられ、黄鉞、羽葆、鼓吹、また甲仗百人の入殿が増された。内外の軍事権は、全て司馬道子が握った。
尚書僕射の王國寶は、輕薄無行で、司馬道子に親しまれた。王國寶の権力は、建業を震わした。王國寶は、ほしいままに皇太子の東宮兵を奪って、自分の府に配置した。
司馬道子は、王緒を輔國將軍、琅邪內史とした。王緒は、石頭の兵を合わせて、建業に駐屯させた。

北府から建康に、兵を取り戻したとも言える?

王緒は、司馬道子の從事中郎を領ね、司馬道子の命令をこまごまと聞き、寵倖されて政事に当たった。

德宗兗州刺史王恭惡國寶、王緒之亂政也,乃要荊州刺史殷仲堪克期同舉。王恭表德宗曰:「國寶身負莫大之罪,謹陳其狀。前荊州刺史王悅,國寶同產弟也。受任西籓,不幸致喪。國寶求假奔彼,遂不即路,慮台糾察,懼於黜免,乃毀冠改服,變為婦人,與婢同載,入請相王。又先帝暴崩,莫不驚號,而國寶靦然,了無哀容,方犯闔叩扉,求行奸計,欲詐為遺詔,矯弄神器。彰暴于外,莫不聞知。讒疾二昆,過於仇敵;樹立私黨,遍於府朝。兵食資儲,斂為私積;販官鬻爵,威恣百城。收聚不逞,招集亡命。補國將軍王緒,頑兇狂狡,人理不齒,同惡相成,共竊名器。自知禍惡已盈,怨集人鬼,規為大逆,蕩複天下。昔趙鞅興晉陽之甲,夷君側之惡,臣雖駑劣,敢忘斯義。」

兗州刺史の王恭は、王國寶と王緒が、政事を乱しているのを憎んだ。王恭と、荊州刺史の殷仲堪は、同時に決起した。
王恭は、司馬德宗に上表した。

司馬道子に反対する、正義派が登場。正義派が勝てば、東晋は盛り返す、というストーリに繋げられると思うんだが。『魏書』がわざわざ長い上表の載せた意図が、読む前から楽しみです。

「王國寶は、莫大な罪を、身に負っています。その罪状を、謹んで陳べます。
前の荊州刺史・王悅は、王國寶の同母弟です。荊州に受任しましたが、不幸にも死にました。王國寶は、同母弟を弔いに行きたいと言ったものの、出発しませんでした。身内の喪を無視したので、役所に睨まれて、クビになることを懼れました。王國寶は冠を毀し、衣服を変えて、婦人に化け、女奴隷に混ざってやり過ごそうとしました。
また先帝が突然に崩御されたとき、王國寶は驚きの声を上げず、哀しみの色がありませんでした。皇帝の居住地に侵入し、詔を偽って発行し、神器をもてあそびました。
彰暴于外,莫不聞知。讒疾二昆,過於仇敵;樹立私黨,遍於府朝。兵食資儲,斂為私積;販官鬻爵,威恣百城。收聚不逞,招集亡命。

悪事を、思いつくだけの語彙で咎めている。訳しません。

補國將軍の王緒も、頑兇狂狡、同惡相成,共竊名器。自知禍惡已盈,怨集人鬼,規為大逆,蕩複天下。昔趙鞅興晉陽之甲,夷君側之惡,臣雖駑劣,敢忘斯義。」

趙鞅が晋陽でやった「義」を確かめねば。やっぱ前時代の知識はいるなあ。


恭表至,道子密欲討恭,以元顯為征虜將軍,內外諸軍潛加嚴備。而國寶惶懼,不知所為,乃遣數百人戍竹裏,夜遇風雨,各散而歸。緒勸國寶殺王珣,然後南征北伐,弗聽,反問計於珣。」既而懼懾,遂上表解職。尋複悔懼,詐稱德宗複其本官。道子既不能拒恭等之兵,亦欲因以委罪,乃收國寶付廷尉殺之,斬王緒於市,以悅恭等。

王恭の上表が、皇帝に届いた。
司馬道子は、ひそかに王恭を殺したいと考えた。司馬道子は、子の司馬元顯を、征虜將軍、内外諸軍として、いつでも出動できる態勢を取らせた。
だが、糾弾された本人の王國寶は惶懼し、どうして良いか分からなくなった。数百人に守らせて竹林に隠れ、夜に風雨に遭うと、ちりぢりになって帰宅した。

非常事態に、ワケの分からん行動を取るのは、小物の証拠だ。そんな小物が、好き勝手にできるほど、東晋は腐ってる。こんな逸話、『晋書』の本紀は、拾ってなかったしね。

王緒は、王國寶に、王珣を殺すように勧めた。

王珣って誰?王國寶と王緒にとって、敵のようだが、、話がつながりません。テキストをもらってきたサイトが間違ってたか?

王國寶は、王珣を殺せという提案を聞き入れず、逆に王珣に、どうしたら良いか聞いてしまった。 王國寶は懼懾して、自ら上表して辞職した。だが王國寶は、辞職を後悔した。司馬徳宗を、思ってもいないのに褒め称えて、王國寶は元の官職に戻った。
司馬道子は、すでに王恭らの軍兵を防ぎ切れなくなった。司馬道子は、トカゲの尻尾を切ることにした。自派の王國寶の罪をでっち上げて、廷尉に殺させた。王緒を市場で処刑した。司馬道子は、王恭らを悦ばせた。

司徒左長史王廞遭母喪居吳,恭板行吳國內史。廞乃徵發吳興諸郡兵。國寶既死,王恭使廞反於喪。廞謂因緣事際,可大得志,乃據吳郡,遣子弟率眾擊恭。以女為真烈將軍,京置官屬,領兵自衛。恭遣司馬劉牢之討平之。

司徒左長史の王廞は、母が死んだので、呉郡にいた。

王廞は、殺された王國寶の与党かな。敵も味方も王姓だから、ややこしい。

王恭は、呉國内史として赴任した。王廞は、ひそかに呉郡の兵を集めて、王恭に敵対した。すでに王國寶が死んだので、王廞には挙兵の名目がない。王恭は、王廞を説得して、服喪に戻れと諭した。だが王廞は聞き入れずに、こう言った。
「やるべきことをやり、大いに志を得るべきだ。私は呉郡を拠点にして、子弟とともに王恭を撃つぞ」

王廞には悪いが、恨むべき相手は、司馬道子だ。小心者の王國寶をさんざん自由にのさばらせておいて、ヤバくなったら切り捨てたんだから。

王廞は、娘を真烈將軍として、兵を率いて自衛させた。王恭は、司馬の劉牢之に、王廞を討伐させた。

建業の司馬氏VS荊州西府の王恭

德宗譙王尚之兄弟複說道子,以為籓伯強盛,宰相權弱,宜密樹置,以自籓衛。道子然之,分遣腹心,跨據形要,由是內外騷動。王恭深慮禍難,複密要殷仲堪、西中郎將庾楷、廣州刺史桓玄同會建業。玄等回應。恭抗表傳檄,以江州刺史王愉、司馬尚之為事端。仲堪遣龍驤將軍、南郡相楊佺期舟師五千發江陵,桓玄借兵于仲堪,亦給五千人。於是德宗戒嚴,加道子黃鉞遣右將軍謝琰拒恭等元顯為征討都督,眾軍繼進,前軍王珣領中軍府眾次於北郊;以尚之為豫州刺史,率弟恢之、允之西討楷等。

譙王・司馬尚之の兄弟は、司馬道子に説いた。
藩伯(皇族の王)を強盛にして、宰相の権力を弱めるべきです。ご自分の藩の兵力を強化なさいますように」
司馬道子は、そのとおりだと思った。腹心を分けて、領国の会稽を守らせた。内外は、(司馬道子が独立するのかと勘ぐって)騒動した。

八王の乱が再現されるのでしょうか。『魏書』は、司馬道子を「政治を乱すキャラ」としか扱ってないでしょう。でも図らずして、皇族の司馬氏が強まっていることを、語った。東晋の前半は、皇族の弱さを、得意そうに責めていたんだから、面目がつぶれたね。

王恭は、禍難を深慮して、殷仲堪に相談した。王恭は、西中郎將の庾楷、廣州刺史の桓玄とも話をして、建業に集めた。桓玄らは、王恭に応じて建業に戻った。
王恭は上表して、皇族の動きに抗議した。江州刺史の王愉と、譙王の司馬尚之が、戦端を開いた。
殷仲堪は、龍驤將軍・南郡相の楊佺期に、水軍5000を任せて、江陵を出発させた。桓玄は、殷仲堪から兵を借りて、5000人の軍勢となった。
ここにおいて司馬德宗は戒嚴し、司馬道子に黃鉞を与え、右將軍の謝琰に、王恭らを防がせた。司馬元顯は、征討都督となり、兵を率いて司馬道子や謝琰に続いた。

司馬徳宗と司馬道子は、仲間だった。司馬徳宗は、中立ではない。建業軍(徳宗や道子ら皇族)と、荊州軍(王恭ら)の対決である。『魏書』が正義派に見せていたのは、東晋から半独立した、荊州の西府でした。

前軍の王珣は、中軍府の兵を率いて、北郊に宿った。司馬尚之は、豫州刺史となり、弟の司馬恢之と、司馬允之を率いた。西方に進み、庾楷らを攻めた。

皆執白虎幡居前。王恭遣劉牢之為前鋒,次於竹裏。初,道子之謀恭也,啖牢之以重賞,牢之斬恭別帥顏延、延弟強,送二級于謝琰。琰與牢之俱進襲恭,恭奔于曲阿,為湖浦尉所執,送建業。尚之與庾楷子鴻戰于牛渚,斬鴻前鋒將殷萬,鴻遁還曆陽。尚之猶不敢濟。桓玄、佺期奄至橫江,尚之等退,恢之所領外軍皆沒。玄等徑造石頭,仲堪繼在蕪湖,建業震駭。道子殺恭于倪塘。桓玄等於是走還尋陽。

建業の軍は、みな白虎幡を前に掲げた。

皇帝が戦闘を命じる、シンボル・フラッグ。

王恭は、劉牢之を前鋒として、竹裏に進めた。司馬道子は、はかりごとをした。劉牢之に吹き込んだ。
「荊州方の王恭を裏切ってくれたら、恩賞をたっぷりあげるぞ」
劉牢之は、王恭の別帥である顏延と、顔延の弟・顔強を斬って、首級を建業方の謝琰に送った。謝琰と劉牢之は、ともに王恭を襲った。王恭は、曲阿に逃げた。王恭は湖浦尉に捕えられて、建業に送られた。
司馬尚之と庾楷の子・庾鴻は、牛渚で戦った。司馬尚之は、庾鴻の前鋒將・殷萬を斬った。庾鴻は、歴陽に逃げ帰った。司馬尚之は、まだ荊州方への攻撃を止めなかった。
桓玄と楊佺期は、橫江まで押された司馬尚之らが撤退した。司馬恢之が率いた外軍は、全滅したからだ。桓玄らは石頭に、殷仲堪は蕪湖に残っていたので、建業方は震駭した。
司馬道子は、王恭を倪塘で殺した。桓玄らは、王恭が殺されたので、尋陽まで後退した。

なんか残念な結果みたいな雰囲気になってますが、『魏書』のワナですよ。建業の司馬氏が勝ったのです。東晋を応援する立場ならば、喜ばねば。何しろ、皇帝権力が初めて軍事的な優位に立ったのですから。