表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』載記の劉曜伝から、匈奴の儒教皇帝の限界を見る

10)呂布や張飛なみ、陳安の武力

ついに陳安が、隴城に籠城します。
劉備のとき、雒城が落城したが、あれと同じである。

陳安が、隴城に籠城する

太甯元年,陳安攻曜征西劉貢于南安,休屠王石武自桑城將攻上邽,以解南安之圍。安聞之懼,馳歸上邽,遇于瓜田。武以眾寡不敵,奔保張春故壘。安引軍追武曰:「叛逆胡奴!要當生縛此奴,然後斬劉貢。」

太甯元(323)年、陳安は、劉曜の征西将軍・劉貢を、南安で攻めた。

前回から決着を持ち越した、西晋の将軍・陳安です。

陳安の動きを受けて、休屠王の石武(劉曜の酒泉王)は、桑城から上邽(陳安の根拠)を攻めようとした。
ちょうどそのとき陳安は、南安の包囲を解いた。
「え?石武が上邽を攻めてきたと?」
陳安は石武の動きを聞いて懼れ、上邽に帰った。
陳安と石武は、瓜田という地で会戦した。石武は、敵が多くて敵わず、逃げて張春の故壘を保った。陳安は軍を引いて、石武を追った。
陳安は言った。
叛逆した胡奴どもよ!ここでお前らの大将・石武のヤローを縛り、その後に劉貢を斬ってやる」

陳安は漢人だから、「胡奴」と言えるのです。

石武は防塁を閉じて、陳安を防いだ。

武閉壘距之。貢敗安後軍,俘斬萬餘。安馳還赴救,貢逆擊敗之。俄而武騎大至,安眾大潰,收騎八千,奔於隴城。貢乃留武督後眾,躬先士卒,戰輒敗之,遂圍安於隴城。

劉貢は、陳安の後軍を破った。劉貢が捕虜にしたり斬ったりした陳安軍の兵は、10000余人だった。陳安は馳せ戻り、後軍を救った。劉貢は、陳安を迎え撃った。
にわかに石武の騎兵が、(防塁を出て)たくさん到着した。陳安は大いに潰走し、8000の騎兵を収容して、隴城に逃げた。
劉貢は、石武を後方の軍を監督させた。劉貢は自ら、士卒に先んじて、陳安と戦って破った。劉貢は、ついに陳安を隴城に包囲した。

呂布の生まれ変わり、陳安

大雨霖,震曜父墓門屋,大風飄發其父寢堂于垣外五十余步。曜避正殿,素服哭於東堂五日,使其鎮軍劉襲、太常梁胥等繕複之。松柏眾木植已成林,至是悉枯。署其大司馬劉雅為太宰,加劍履上殿,入朝不趨,贊拜不名,給千兵百騎,甲仗百人入殿,增班劍六十人,前後鼓吹各二部。

大いに雨霖し、劉曜の父の墓門屋が震えた。大きな風飄(つむじ風)が、劉曜の父の寢堂の垣外50余歩のところに発した。劉曜は、正殿を避け、喪服を着て、東堂で5日間の哭礼を行なった。

「父の陵墓が壊れたのは、私の不徳のせいである」と。陳安と最終決戦をやっているのに、劉曜は墓守と反省に夢中なのです。

劉曜は、鎮軍将軍の劉襲や、太常の梁胥らに、父の陵墓を修繕させた。
松柏など多くを植樹して、林を形成していたが、すべて枯れた。
劉曜は、大司馬の劉雅を太宰にして、劍履上殿,入朝不趨,贊拜不名を加え、千兵百騎を給い、甲仗百人入殿,增班劍六十人,前後鼓吹各二部。

ただの恩賞の意味だ。禅譲の手続きではない。


曜親征陳安,圍安於隴城。安頻出挑戰,累擊敗之,斬獲八千餘級。右軍劉幹攻平襄,克之,隴上諸縣悉降。曲赦隴右殊死已下,惟陳安、趙募不在其例。安留楊伯支、姜沖兒等守隴城,帥騎數百突圍而出,欲引上邽、平襄之眾還解隴城之圍。安既出,知上邽被圍,平襄已敗,乃南走陝中。

劉曜は、陳安を親征した。陳安を隴城で包囲した。陳安は、しきりに城外で戦いを挑んだが、劉曜は陳安を撃破し、8000余級を斬獲した。右軍の劉幹が、平襄を攻め落とした。隴上の諸縣は、ことごとく劉幹に降った。
劉曜は、隴右で死刑以下を大赦した。ただ陳安と趙募だけは、赦さなかった。
陳安は、楊伯支と姜沖兒らを留めて、隴城を守らせた。陳安は、騎兵数百を率いて包囲を突破し、本拠である上邽に引き上げようとした。陳安は、平襄の軍を戻して、隴城の包囲軍を攻撃させようとした。
陳安が包囲を出た。平襄がすでに敗れていたと知り、南に逃げて陝中を目指した。

すでに劉曜に降った軍を、陳安はアテにした。劉曜の包囲は、情報をシャットアウトしていたことが分かる。完璧だ。


曜使其將軍平先、丘中伯率勁騎追安,頻戰敗之,俘斬四百餘級。安與壯士十余騎於陝中格戰,安左手奮七尺大刀,右手執丈八蛇矛,近交則刀矛俱發,輒害五六;遠則雙帶鞬服,左右馳射而走。平先亦壯健絕人,勇捷如飛,與安搏戰,三交,奪其蛇矛而退。

劉曜は、将軍の平先と丘中伯に、勁騎を率いて陳安を追わせた。しきりに戦い、陳安を破って、400餘級を捕虜にしたり斬ったりした。
陳安は、壯士10余騎とともに、陝中で白兵戦をやった。陳安は、左手に七尺大刀を奮い、右手に丈八蛇矛を執った。

政治戦略はデタラメだったが、こんなに強かったのか。滅びゆく王朝に対し、不器用なまでに忠実で、豪腕の持ち主と言えば・・・呂布を思い出させる。主人を裏切りまくり、いちおう独立勢力を築くが、維持はド下手で・・・そっくりだ。

接近戦では、刀と矛を同時にくり出し、ひと振りで5、6人を殺害した。遠距離戦では、2本の帯と鞬服を振り回し、左右に馳せて、騎射して逃げた。

漫画になる武将を見つけましたね。

劉曜の将軍・平先もまた、壯健ぶりが人を絶し、勇捷なさまは飛ぶが如くだった。平先は、陳安と搏戰をした。3交し、陳安の蛇矛を奪って、撤退した。

陳安への追悼歌、、

會日暮,雨甚,安棄馬,與左右五六人步逾山嶺,匿於溪澗。翌日尋之,遂不知所在。會連雨始霽,輔威呼延清尋其徑跡,斬安于澗曲。曜大悅。

日が暮れると、雨がひどくなった。陳安は、馬を棄てた。左右の5、6人とともに、山嶺を徒歩で越えて、溪澗に隠れた。
翌日、劉曜軍が陳安を探したが、分からなくなっていた。雨はずっと降りどおしだったが、晴れ始めた。劉曜の輔威将軍・呼延清は、陳安の足取りを探った。呼延清は、陳安を澗曲で斬った。劉曜は、大悅した。

安善於撫接,吉凶夷險與眾同之,及其死,隴上歌之曰:「隴上壯士有陳安,驅幹雖小腹中寬,愛養將士同心肝。聶驄父馬鐵瑕鞍,七尺大刀奮如湍,丈八蛇矛左右盤,十蕩十決無當前。戰始三交失蛇矛,棄我聶驄竄嚴幽,為我外援而懸頭。西流之水東流河,一去不還奈子何!」曜聞而嘉傷,命樂府歌之。

陳安は、兵士と接してねぎらうのが上手かった。吉凶も夷險も、兵たちと共に味わった。

軍人としては、最高の人材だった。

陳安が死ぬと、隴上で陳安が歌われた。
「隴上の壯士に、陳安がいる。驅幹は小さいが、腹中には寛大さを持っている。將士を愛養し、心肝を同じくする。

陳安は張飛より力が強そうなのに、小柄だったのか。。
っていうか、せっかくの七言詩を、下手な日本語にバラしている自分が恥ずかしくなった。もうしません。
内容は、陳安の活躍と、死の無念を言っています。

聶驄父馬鐵瑕鞍,七尺大刀奮如湍,丈八蛇矛左右盤,十蕩十決無當前。戰始三交失蛇矛,棄我聶驄竄嚴幽,為我外援而懸頭。西流之水東流河,一去不還奈子何!」
劉曜は、陳安を慕う歌を聴いて、嘉傷した。

嘉傷って・・・「プラス評価をして、感傷に浸った」か?微妙な心の動きだ。

劉曜は樂府に命じて、メロディを付けさせた。

楊伯支斬姜沖兒,以隴城降。宋亭斬趙募,以上邽降。徙秦州大姓楊、姜諸族二千余戶于長安。氐羌悉下,並送質任。

楊伯支は、姜沖兒を斬った。

劉曜の部将が、陳安が置いた隴城の守将を斬った。

これにより、隴城が劉曜に降った。
宋亭は趙募を斬り、上邽(陳安の本拠地)が降った。
秦州の大姓である楊氏と、姜諸族2000余戸を、長安に徙した。氐羌はことごとく劉聡に降り、質任(子の人質)を長安に送った。

雍州が治まれば、つぎは涼州との戦いです。