表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』載記の劉曜伝から、匈奴の儒教皇帝の限界を見る

13)洛陽に遠征してパニック

世継ぎは、羊皇后の子・劉煕で落ち着いた。
ふたたび国外に目を向けます。劉曜の最期の敵(ネタバレ)である、石勒との戦いが始まります。楊難敵の後始末も残っている。

田崧が、楊難敵に切りかかる

時有鳳皇將五子翔於故未央殿五日,悲鳴不食皆死。曜立後劉氏。

ときに鳳凰が5匹の子を率いて飛んできて、もと未央殿に5日とまった。悲しく鳴き、食べずに、5匹とも死んだ。劉曜は、皇后に劉氏を立てた。

5匹の子と5日の意味が分からん・・・そして、鳳凰が死んだことと、立皇后の因果関係は?・・・分からん・・・ただおの思わせぶりか。


石勒將石他自雁門出上郡,襲安國將軍、北羌王盆句除,俘三千餘落,獲牛馬羊百余萬而歸。曜大怒,投袂而起。是日次於渭城,遣劉嶽追之,曜次於富平,為嶽聲援。岳及石他戰於河濱,敗之,斬他及其甲士一千五百級,赴河死者五千余人,悉收所虜,振旅而歸。

石勒の部将・石他が、雁門郡から上郡に出てきた。石他は、安國將軍、北羌王の盆句除を襲った。石他は、3000余落を捕虜とし、牛馬羊100余万を盗んで帰った。
劉曜は大怒し、投袂して起った。

家畜をつぶして振る舞うだけで、分かちがたい人望が得られるのです。董卓みたいに。・・・膨大な数の家畜を盗まれたら、劉曜でも大怒するよ。
本題でないので吟味してない情報だが、牛肉1キロカロリーを作るために、ウシはトウモロコシを10キロカロリー食べるんだって。つまり国力の視点から見れば、穀物を盗まれるより、家畜を盗まれる方が、10倍も痛いのです。
家畜は自分で歩くからね、盗みやすいよな。木牛も流馬も、いるわけない(笑)

その日のうちに、劉曜は渭城に入った。劉曜は、劉嶽を遣わして、石他を追わせた。劉曜は富平に入り、劉嶽を声援した。

「がんばれー」と騒ぐだけじゃなかろうが。

劉嶽と石他は、河濱(黄河沿い)で戦い、劉嶽が勝った。
石他を斬り、石他の配下だった甲士1500級を斬った。黄河に逃げて死んだ人は、5000人余。残りは全て捕虜として、劉曜軍は帰った。

どうでもいいが石他は、どうやって家畜に黄河を渡らせらるつもりだったんだ(笑)敵からマイナスしたが、自分へのプラスは諦めていた?


楊難敵自漢中還襲仇池,克之,執田崧,立之於前。難敵左右叱崧令拜,崧瞋目叱之曰:「氐狗!安有天子牧伯而向賊拜乎!」難敵曰:「子岱,吾當與子終定大事。子謂劉氏可為盡忠,吾獨不可乎!」崧厲色大言曰:「若賊氐奴才,安敢欲希覬非分!吾寧為國家鬼,豈可為汝臣,何不速殺我!」顧排一人,取其劍,前刺難敵,不中,為難敵所殺。

楊難敵は、漢中から仇池に戻ってきて、仇池を襲った。前趙が仇池を任せていた田崧は、楊難敵にに捕えられた。
田崧は、楊難敵の前に立った。楊難敵の左右の人は、田崧を叱って、拝礼させようとした。田崧は、目を怒らせて言った。
氐族のイヌめ!どうして天子の牧伯(地方官)が、賊になど拝礼できるか!」
楊難敵は言った。
「子岱(田崧のあざな)よ。私はあなたと、大事を定めたいのだ。あなたは劉氏に忠誠を尽くすべきだと言うが、どうして私には忠誠を尽くさないのか(尽くすべきだ)」

前に西晋の陳安が言ったことに似てる。楊難敵が陳安にあこがれたか、『晋書』筆者がキャラを使いまわしたか。

田崧は、厲色して大言した。
「お前のような賊が、氐族の奴才のくせに、なぜ分限を越えたことを望むのか。私は国家のために死ぬことがあっても、お前の臣だけにはならん。さっさと殺すがいい!」
田崧は振り返り、1人から剣を奪って、楊難敵に正面から切りかかった。田崧の剣は、楊難敵に当たらなかった。田崧は、楊難敵に殺された。

第1次・洛陽攻め失敗

曜遣劉岳攻石生於洛陽,配以近郡甲士五千,宿衛精卒一萬,濟自盟津。鎮東呼延謨率荊司之眾自崤澠而東。岳攻石勒盟津、石樑二戍,克之,斬獲五千餘級,進圍石生於金墉。石季龍率步騎四萬入自成皋關,岳陳兵以待之。戰于洛西,岳師敗績,岳中流矢,退保石樑。季龍遂塹柵列圍,遏絕內外。岳眾饑甚,殺馬食之。

劉曜は、劉岳に命じて、洛陽の石生を攻めさせた。劉岳は、近郡から甲士5000人を集め、宿衛の精卒10000人も率い、盟津に向った。
鎮東将軍の呼延謨は、荊州や司州の兵を率いて、崤澠から東進した。
劉岳は、盟津で後趙を攻めた。石樑の2拠点を、劉岳が抜いた。

敵の姓が石氏で、いま地名に「石」がついた。紛らわしいことである。

劉岳は、5000余級を斬獲した。劉岳は進み、金墉で石生を包囲した。

劉曜が、今にも洛陽を奪回しそうだ。洛陽は帝都だから、ほしい。洛陽は守りにくいから、たちまち奪う一歩手前までは行ける。

石虎が、歩騎40000を率いて、成皋關から入った。

何気ない登場だが、この石虎が、のちに華北の皇帝として君臨する。唐帝の名を諱んで、『晋書』では、あざなで書かれる。

劉岳は兵を展開して、石虎を迎え撃った。
劉岳と石虎が、洛西で戦った。劉岳が敗北し、流矢を受けた。劉岳は退いて、石樑を保った。
石虎は、塹壕や木柵を巡らして、劉岳を包囲し、内外から追い詰めた。劉岳の兵たちは、ひどく飢えて、馬を殺して食べた。


季龍又敗呼延謨,斬之。曜親率軍援岳,季龍率騎三萬來距。曜前軍劉黑大敗季龍將石聰於八特阪。曜次於金穀,夜無故大驚,軍中潰散,乃退如澠池。夜中又驚,士卒奔潰,遂歸長安。季龍執劉岳及其將王騰等八十餘人,並氐羌三千餘人,送于襄國,坑士卒一萬六千。曜至自澠池,素服郊哭,七日乃入城。

石虎は呼延謨を破り、呼延謨を斬った。

もう忘れてるが、劉岳とともに出発した将軍。荊州と司州の兵を率いた。

劉曜は自ら兵を率いて、劉岳を救援した。石虎は、騎兵30000を率いて、劉曜の親征を拒んだ。前趙の前軍である劉黑は、石虎の部将・石聰に、八特阪で敗れた。
劉曜は金穀に入った。夜に、理由なくパニックが起き、劉曜の軍はちりぢりに潰走した。劉曜は退いて、澠池に行った。夜中にまたパニックが起き、士卒は逃げて潰走し、ついに長安まで戻ってしまった。

「大驚」をパニックと訳しましたが、何だろう。夜襲ではない。
劉曜が目新しい国のビジョンを語らないまま、関中から出てしまったから、求心力が低下したのでしょう。狭い関中では、ほっといてもハグれない。広い中原でまとまるためには、互いを結びつけるロープが必要。
次の文で分かるが、劉曜が率いているのは、氐羌です。彼らの故郷は西方だから、洛陽に出て行くニーズがない。ホームシックである。いや、もっと明確な利害計算を伴った、離反である(笑)

石虎は、劉岳とその部将・王騰ら80余人を捕えた。石虎は、氐羌3000余人を捕えた。石虎は、捕虜を襄國(石勒の本拠)に送った。士卒16000を穴に埋めた。
劉曜は澠池に到り、喪服で郊哭した。7日たって、入城した。

南陽王(漢)=大単于(胡)

武功豕生犬,上邽馬生牛,及諸妖變不可勝記。曜命其公卿各舉博識直言之士一人,司空劉均舉參軍台產,曜親臨東堂,遣中黃門策問之。產極言其故,曜覽而嘉之,引見東堂,訪以政事。產流涕歔欷,具陳災變之禍,政化之闕,辭旨諒直,曜改容禮之,即拜博士祭酒、諫議大夫,領太史令。其後所言皆驗,曜彌重之,歲中三遷,曆位尚書、光祿大夫、太子少師,位特進。

武功(地名)で、イノシシがイヌを産んだ。上邽で、ウマがウシを生んだ。その他、妖しい変異が書ききれないほど起こった。
劉曜は公卿たちに、博識で直言できる人材を1人ずつ挙げさせた。

ノリが後漢だ。国難を乗り越えるための施策として、今さら後漢のコピーしか出来ないから、関中を出ると空中分解する。
国民の多数を構成する、氐羌を抜擢するとか・・・斬新なことをやってみたら?

司空の劉均は、參軍の台産を推挙した。
劉曜は東堂に臨み、中黄門に台産を策問させた。台産は、言葉を極めて考えを述べた。劉曜はレポートを読み、高く評価した。
劉曜は、台産と東堂で会い、政事について尋ねた。台産は流涕歔欷し、つぶさに災變之禍と、政化之闕について述べた。言葉はハッキリとして真っ直ぐなので、劉曜は態度を改めた。劉曜はその場で、台産を博士祭酒、諫議大夫とし、太史令を領ねさせた。
その後も、台産の言うことは、どれも正しかったので、劉曜は台産を重んじた。1年以内に3回も、台産は昇進した。尚書、光祿大夫、太子少師を歴任し、位は特進となった。

曜署劉胤為大司馬,進封南陽王,以漢陽諸郡十三為國;置單于台于渭城,拜大單于,置左右賢王已下,皆以胡、羯、鮮卑、氐、羌豪桀為之。

劉曜は、劉胤を大司馬とし、進めて南陽王に封じた。劉胤のために、漢陽諸郡の13を切り取り、南陽国を作った。單于台を渭城に置き、劉胤を大單于として、左右の賢王以下には、みな胡、羯、鮮卑、氐、羌族らの豪桀を迎えた。

漢の南陽王と、匈奴の大単于。次男の劉胤には、2つの顔が同時に与えられた。胡漢が融合を象徴している。洛陽に出て、タガが外れてしまったので、ここで再度、国体を確定させた。前趙のアイデンティティをアピールした。
漢室としては「博識で直言できる人材」を推挙させ、台産を重んじた。同時に単于台には、「諸民族の豪傑」を集めた。


曜自還長安,憤恚發病,至是疾瘳,曲赦長安殊死已下。署其汝南王劉咸為太尉、錄尚書事,光祿大夫劉綏為大司徒,蔔泰為大司空。

劉曜は、長安に戻ってから、憤恚して發病した。

石氏に敗れたから、精神のバランスが崩れた。石氏に私怨はないはずだ。むしろ靳准のときは、石勒を出し抜いている。
だったら怒りの原因は1つ。漢魏の旧都として、洛陽に執着していた。皇帝を名乗るからには、洛陽を治めたかった。洛陽にコダワリ始めると、みんな不幸になるんだけど(笑)

劉曜は、しだいに病気が篤くなった。長安で、死刑以下の人を赦した。
汝南王の劉咸を太尉、錄尚書事とした。光祿大夫の劉綏を、大司徒とした。蔔泰を、大司空とした。