表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』載記の劉曜伝から、匈奴の儒教皇帝の限界を見る

2)第5代の漢皇帝

劉淵の子や族子たちが、前漢を復興する。上り調子の国は、史書を読んでいてもワクワクするものです。

趙皇帝の伝説ソード

弱冠游於洛陽,坐事當誅,亡匿朝鮮,遇赦而歸。自以形質異眾,恐不容於世,隱跡管涔山,以琴書為事。

弱冠(20歳)のとき、劉曜は洛陽に留学した。劉曜は連座して、誅されそうになった。

何に連座したんだ?299年、族父の劉淵は「部曲が叛乱した」という罪で、免職されている。これかな。

劉曜は、朝鮮まで逃げて亡匿した。

遠くまで逃げすぎだろう。朝鮮は、匈奴の本領とまるで方向が違う。命の危機を、本気で感じたようだ。
朝鮮に向うとき、遼東で前燕の祖先たちに会うという話は、小説として面白いと思う。前燕は、劉曜の前趙を亡ぼした、石勒の後趙を亡ぼす。先までネタバレしても、話が複雑で分かりにくいだけか。
じつは、このサイトの「7)」で、朝鮮時代の詳細が判明します。

大赦があったので、劉曜は西晋に帰った。
劉曜は、姿かたちや性質が平均的な人たちと違うので、世間に馴染めないことを恐れた。だから劉曜は、管涔山に隱跡した。

これだけ読むと、「繊細な人なのね。朝鮮に行って、つらい思いをしたのね」と言いたくなる。だが違うようだ。下から始まる伝説を挿入したいがために、筆を枉げ、劉曜をムリに山中に押し込んだようである。
管涔山とは、 山西省忻州市寧武県南西部・・・と現在の地名で言われても、全く分からんのが三国ファンのサガだと思う。後漢代の区画で言ってくれ(笑)

山中で劉曜は、琴を弾き、書に励んだ。

嘗夜閒居,有二童子入跪曰:「管涔王使小臣奉謁趙皇帝,獻劍一口。」置前再拜而去。以燭視之,劍長二尺,光澤非常,赤玉為室,背上有銘曰:「神劍禦,除眾毒。」曜遂服之。劍隨四時而變為五色。

ある夜、2人の童子が入っていて、劉曜にひざまずいた。童子が言った。
「管涔山の王が、私たちに命じ、趙皇帝に奉謁させました。管涔山の王から、劍1本をプレゼントです」
童子は剣を劉曜の前に置き、再拜して去った。

これから族父の劉淵が「漢」を建国する。そのくせ「趙皇帝」と呼ばれたのは、族父の王朝が滅亡するか、その王朝と劉曜が対立することを暗示しており、不吉である。剣をくれたのに申し訳ないが、余計なお節介である。

劉曜は剣を、蝋燭の火に照らして見た。劍の長さは2尺で、光澤は常ならず、赤玉が室(鞘)とあしらわれ、背上に銘があった。
「神劍が禦し、眾毒を除く」
劉曜は、剣の素晴らしさに敬服した。劍は時間に応じて、五色に変わって光った。

テレビの特撮戦隊ヒーローは、電飾する武器を持っている。あれである。

皇帝への即位

元海世頻曆顯職,後拜相國,都督中外諸軍事,鎮長安。

劉淵が皇帝となると、劉曜は顕職を歴任した。のちに劉曜は、相國を拝し、都督中外諸軍事として、長安に出鎮した。

「劉淵伝」にあり、ここでは省略されているが、洛陽を占領したとき、劉曜は大殺戮をやった。
私怨説を作るなら、「連座で殺されそうになり、朝鮮まで逃げるハメになったから、西晋を悪んだ」となる。
公怨説を作るなら、「劉淵の漢を正統化するために、晋に大打撃を与えることが必要だと、劉曜は思った」となる。劉淵その人は、胡漢の融合を願っており、大殺戮は望まなかっただろうが・・・『孫子』を持ち出すまでも泣く、通信機のない時代の将軍は、独断専権できるからね。
この件も、「7)」で解決します。焦らしますが、『晋書』の順序がそうなので。


靳准之難,自長安赴之。至於赤壁,太保呼延晏等自平陽奔之,與太傅硃紀、太尉范隆等上尊號。曜乙太興元年僭即皇帝位,大赦境內,惟准一門不在赦例,改元光初。以硃紀領司徒,呼延晏領司空,範隆以下悉複本位。使征北劉雅、鎮北劉策次於汾陰,與石勒為掎角之勢。

劉聡の死後、靳准が劉粲を殺して漢天王を名乗ると、劉曜は長安に行った。赤壁に到ると、太保の呼延晏らが、平陽ら逃げてきた。呼延晏と、太傅の硃紀と、太尉の范隆らは、劉曜に尊號を奉った。
劉曜はこれを認めて、太興元(318)年に皇帝となった。

建康では、同じ歳に司馬睿が皇帝になり、東晋を始めた。
「劉淵の漢が西晋を滅ぼした」と言われるが、西晋と漢は、ほぼ同時に滅びた。漢を滅ぼしたのは靳准。そして東晋と趙は、ほぼ同時に生まれた。司馬睿は西晋の皇族の遠縁だが、劉曜も漢の皇族の遠縁である。見事に対照する。

劉曜は、国内を大赦した。しかし靳准の一門だけは、大赦から除外された。「光初」と改元した。
硃紀に司徒を領ねさせ、呼延晏に司空を領ねさせ、範隆ら以下はもともとの官位を保たせた。劉曜は、征北将軍の劉雅と、鎮北将軍の劉策らに、汾陰へ入らせた。石勒とともに、掎角之勢で平陽の靳准を睨んだ。

掎角の本来の意味は、鹿を捕まえるときに、アシとツノを掴んで、身動きを奪うこと。転じて、前後からの挟み撃ちです。
靳准に逆らった名士・王延が言っていたとおりになった。

靳准へのお誘い

靳准遣侍中卜泰降於勒,勒囚泰,送之曜。

靳准は、侍中の卜泰を使者にして、石勒に降伏を申し入れた。石勒は卜泰を捕えて、劉曜に送った。

使者に手出しをしないのがマナーだが、、石勒は戦利品を扱うように、使者を転がした。靳准をライバルと認めていない?
靳准を共通の敵として、劉曜と石勒は仲がいいことに注意。石勒は劉聡には敵対していたのに。石勒から見れば、劉聡と劉粲のラインは滅び、劉曜は別勢力という扱いか。だから敵対関係は解消されたか。


謂泰曰:「先帝末年,實亂大倫,群閹撓政,誅滅忠良,誠是義士匡討之秋。司空執心忠烈,行伊霍之權,拯濟塗炭,使朕及此,勳高古人,德格天地。朕方寧濟大艱,終不以非命及君子賢人。司空若執忠誠,早迎大駕者,政由靳氏,祭則寡人,以朕此意布之司空,宣之朝士。」

劉曜は、石勒から送られてきた卜泰に言った。
「先帝(劉聡)の治世の末年、まことに大倫は乱れ、宦官どもが政治を牛耳った。忠良な人が誅滅されたから、世直しが必要な状況だった。

先帝とは誰か。代数から言えば劉粲だが、即位1ヶ月ちょいで死んでる。「末年」と言うのは変だから、劉聡としました。

司空(靳准)は忠烈に励み、伊尹や霍光のように、人々の苦しみを救済した。靳准のおかげで、今日の私がある。靳准の勲功は、古人のように高い。靳准の人徳は、天地に等しい。

劉粲を殺したから、靳准は漢の叛逆者である。その靳准を褒め殺しているのは、劉曜の作戦です。誤訳じゃない・・・はず。

もし靳准が、これまでどおり忠誠を続け、さっさと大駕(劉曜の車)を平陽に迎え入れるなら、政治は靳氏に任せよう。祭祀だけは、劉氏の私がやろう。私の考えを司空(靳准)に伝え、朝廷の人士たちに広めてくれ」

ぼくの書き方が悪かったが、劉曜はこの時点で、趙帝ではなく、漢帝である。
劉曜から靳准へのメッセージは、こんなだ。
「靳准は、うっかり間違えて劉粲を殺したかも知れない。でも私は、それを気にしていないよ。次の皇帝である私を迎えてくれれば、水に流そう」と。
もし靳准が、君主の姓を変える困難を実感し、出しゃばりを後悔し始めているなら、絶対に劉曜の申し出を受けたいところだ。
劉曜を推戴したのは、平陽から逃げ出した、漢の主要メンバーだ。劉曜は、血縁に疑問があっても、正統性が疑われにくい立場である。


さて・・・靳准はどう対応するのでしょう?