12)寒くても凍えない、世子・劉胤
劉曜の後継騒動が描かれます。 っていうか、劉曜の代のみで前趙は滅びるのだから、何を争っているのか分かりませんが(笑)
劉曜の天才息子・劉胤
初,靳准之亂,曜世子胤沒于黑匿郁鞠部,至是,胤自言,郁鞠大驚,資給衣馬,遣子送之。曜對胤悲慟,嘉郁鞠忠款,署使持節、散騎常侍、忠義大將軍、左賢王。
はじめ靳准が叛乱したとき、劉曜の世子・劉胤は捕えられ、黑(地名)で、匈奴の郁鞠部に匿われた。匿われたとき、劉胤が自言したので、郁鞠部は大驚した。
きっと劉胤は、子供のくせに、完璧なセリフを述べたのだろう。
郁鞠部は、衣馬を劉胤に資給し、学友として自らの子を侍らせた。
劉曜が劉胤と再会したとき、悲慟した。
劉胤に対して郁鞠部が忠款だったことを、劉曜は嘉した。劉曜は郁鞠部を、使持節、散騎常侍、忠義大將軍、左賢王とした。
ハイライトを冒頭にもってきたり、飽きさせないように話の内容を交互にしたり・・・現代の商業出版でも通用しそうな、麗しき小説家のスキルを使ってくれます。
だから『晋書』の史書としての評価が下がるんだよ!と言いたい(笑)
胤字義孫,美姿貌,善機對,年十歲,身長七尺五寸,眉鬢如畫。
聰奇之,謂曜曰:「此兒神氣豈同義真乎!固當應為卿之塚嫡,卿可思文王廢伯邑考立武王之意也。」曜曰:「臣之籓國,僅能守祭祀便足矣,不可以亂長幼之倫也。」
劉曜の子・劉胤は、あざなを義孫という。姿貌は美しく、機知のある受け答えが上手かった。10歳のとき、身長は7尺5寸で、眉鬢は描いたようにクッキリしていた。
劉聡は、劉胤を奇偉だと思い、劉曜に言った。
「この子の神氣は、どうして義真と同じだろうか(全く違うよ)!絶対に、きみ(劉曜)の家の嫡子とすべきだ。きみには、周の文王が、長子である伯邑考を廃嫡して、武王を立てたときの気持ちをよく考えてほしい」
族長でもある劉聡に、廃嫡を勧められている不幸な人だ。
劉曜は言った。
「私の藩国では、僅かに祭祀だけ営めれば、君主の器量として充分です。長幼の倫を乱して、劉胤を嫡子にするべきではありません」
「祭祀だけやれれば充分」というのは、子孫を慮った表現でしょう。いま劉聡と劉曜は、族兄弟だ。だが子や孫になると、漢帝と対立するかも知れない。だから「私の藩国は無害ですよ」と方向づけている。何事も、初めが肝心だから。
聰曰:「卿勳格天地,國兼百城,當世祚太師,受專征之任,五侯九伯得專征之者,卿之子孫,柰何言同諸籓國也!義真既不能遠追太伯高讓之風,吾不過為卿封之以一國。」義真,曜子儉之字也。於是封儉為臨海王,立胤為世子。
劉聡は言った。
「きみ(劉曜)の勲功は、天地に等しい。藩国は100城を兼ね、大軍を動員できる。專征之任(中央から独立した指揮権)を与えている。五侯九伯のうち、專征之任を受けるべきは、きみの子孫である。どうして、祭祀をやるだけの、他の藩国たちと同じものか。
「私を信頼してくれて感謝します。でもそこまで言うなら、300歳まで生きて、代々私の子孫の安泰を見守ってくれ。それが出来ないなら、私の藩国を特別扱いし、後戻りできない高みに置くのは辞めて。絶対に火種になる」と。
義真(劉儉)の器量では、大軍を率いることはできない。義真(劉儉)が、きみの家を継げなくなるように、別の一国に封じておこう」
義真とは、劉曜の子・劉儉のあざなである。
ここにおいて、劉儉を臨海王に封じて、劉胤を世子とした。
三男の廃嫡を、やめて下さい
胤雖少離屯難,流躓殊荒,而風骨俊茂,爽朗卓然;身長八尺三寸,發與身齊,多力善射,驍捷如風雲,曜因以重之,其朝臣亦屬意焉。曜於是顧謂群下曰:
劉胤は、幼くして親と離れて、困難に遭い、流躓殊荒した。にも関わらず、風骨は俊茂で、爽朗卓然としていた。
身長は8尺3寸だ。使用する弓は、身体と同じ大きさだった。
前述のサイト『詩解』様では、「髪」の意味で使ってましたが、ぼくの手元の辞書ではヘアの意味はなし。白文をもらったサイトが、ミスってるか(笑)
劉胤は力が強くて、射術が上手かった。驍捷であることは、風雲のようだった。
身体能力が高いから、劉曜は劉胤を重んじた。朝臣たちも、同じように劉胤を支持した。劉曜は、群臣たちに言った。
「義孫可謂歲寒而不凋,涅而不淄者矣。義光雖先已樹立,然沖幼儒謹,恐難乎為今世之儲貳也,懼非所以上固社稷,下愛義光。義孫年長明德,又先世子也,朕欲遠追周文,近蹤光武,使宗廟有太山之安,義光饗無疆之福,于諸卿意如何?」
「義孫(劉胤)は、寒くても縮まらず、染めても濁らない人だと言うべきだ。
さきに義光を世子としたが、沖幼で儒謹なので、今の時代では、世子の任務が務まらないことを恐れた。
劉曜さんは以前「藩国は祭祀だけやればいい」と言ったが、今は実力を必要としている。劉聡-劉粲が滅び、自分の家が君主になったからだね。
オフィシャルには、義光(劉煕)が社稷を固められないことを懼れる。プライベートには、私は義光が可愛いので、ツラい思いをさせたくない。いっぽう義孫(劉胤)は、年長で明德だから、世子としたい。
もう充分に、孫権ばりに迷走している(笑)
私は、遠い時代では周の文王のように、近い時代では光武帝のように、宗廟を泰山のように安定させたい。
劉胤を世子にすれば、義光(劉煕)は、無疆之福を味わうことができる。群臣のみんなは、どう思うか?」
其太傅呼延晏等鹹曰:「陛下遠擬周漢,為國家無窮之計,豈惟臣等賴之,實亦宗廟四海之慶。」
太傅の呼延晏らは、みな言った。
「劉曜さまは、西周や後漢を模範とされ、國家のために無窮之計を立てておられる。私たち臣下が、どうして劉胤さまを立てるという案に、頼らないことがありましょうか。まことに宗廟や四海にとっての慶びと申すべきです」
左光祿卜泰、太子太保韓廣等進曰:「陛下若以廢立為是也,則不應降日月之明,垂訪群下。若以為疑也,固思聞臣等異同之言,竊以誠廢太子非也。何則?昔周文以未建之前,擇聖表而超樹之可也。光武緣母色而廢立,豈足為聖朝之模範!光武誠以東海篡統,何必不如明帝!皇子胤文武才略,神度弘遠,信獨絕一時,足以擬蹤周發;然太子孝友仁慈,志尚沖雅,亦足以堂負聖基,為承平之賢主。何況儲宮者,六合人神所系望也,不可輕以廢易。陛下誠實爾者,臣等有死而已,未敢奉詔。」曜默然。
左光祿の卜泰と、太子太保の韓廣らは、進んで言った。
「(抄訳)世子の廢立を行なってはいけません。むかし周の文王は、長男を世継ぎに指名する前に、長男でない武王を立てました。これは問題ありません。光武帝は、皇子の母の好き嫌いで、世継ぎを取り換えました。全く模範にするに足りません。光武帝は、東海王を2代・明帝にしましたが、その必要はなかったのです。
皇子・劉胤さまの能力は認めますが、廃立そのものがダメなのです。もし廃立するなら、私たちは死ぬ覚悟です」
だが劉曜は皇帝で、必死に王朝の未来を考えている。すると、儒学が吹っ飛ぶ。人間の思考なんて限界があるし、当事者になると視野が狭くなる。そんなときこそ、儒学という先人の知恵の蓄積を生かすべきなんだろうね。それに気づかせてくれる臣下がいて、劉曜は幸せです。
劉曜は、黙ってしまった。
胤前泣曰:「慈父之于子也,當務存《屍鳩》之仁,何可替熙而立臣也!陛下謬恩乃爾者,臣請死於此,以明赤心。且陛下若愛忘其醜,以臣微堪指授,亦當能輔導義光,仰遵聖軌。」因歔欷流涕,悲感朝臣。
劉胤は、劉曜の御前で泣いて言った。
「慈父之于子也,當務存《屍鳩》之仁。
という一連の文章の、抜粋のようです。
なぜ劉熙を廃して、私などを世子に立てるのでしょうか。父上が謬恩(誤った恩徳)を私にかけて下さるなら、私はここで死んで、赤心を明らかにします。
父上が私を愛したのと同じように、私の見っともない発言を忘れて下さるなら、私は義光(劉煕)を輔けて、王朝のために働くことができます」
劉胤は歔欷流涕し、朝臣にも悲しみが伝染した。
曜亦以太子羊氏所生,羊有寵,哀之不忍廢,乃止。追諡前妻卜氏為元悼皇后,胤之母也。卜泰,胤之舅,曜嘉之,拜上光祿大夫、儀同三司、領太子太傅。封胤為永安王,署侍中、衛大將軍、都督二宮禁衛諸軍事、開府儀同三司、錄尚書事,領太子太傅,號曰皇子。命熙于胤盡家人之禮。
太子(劉煕)は、羊皇后の子である。劉曜は羊皇后を寵愛したから、劉煕を廃するのは忍びなくなり、廃立を辞めた。
前妻の卜氏を「元悼皇后」と追諡した。卜氏は、劉胤の母である。
卜泰は、劉胤の外戚であったが、劉胤の立太子に反対した。劉曜は、卜泰を嘉して、上光祿大夫、儀同三司とし、太子太傅を領ねさせた。
劉胤を永安王に封じ、侍中、衛大將軍、都督二宮禁衛諸軍事、開府儀同三司、錄尚書事とし、太子太傅を領ねさせた。
劉曜は劉胤に、「皇子」と名乗らせた。劉曜は劉熙に命じ、劉胤に対して家人之禮を取らせた。