表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』載記の劉曜伝から、匈奴の儒教皇帝の限界を見る

7)儒教皇帝が符命を得る

過去物語を見て、劉曜の人格形成過程を見たところで、
話はふたたび、元の時代に戻ります。巴氐と、上郡の氐羌を、遊子遠の太陽政策で平定したところです。

儒教の太学を立てる

曜立太學于長樂宮東,小學于未央宮西,簡百姓年二十五已下十三已上,神志可教者千五百人,選朝賢宿儒明經篤學以教之。以中書監劉均領國子祭酒。置崇文祭酒,秩次國子。散騎侍郎董景道以明經擢為崇文祭酒。以遊子遠為大司徒。

劉曜は、太学を長樂宮の東に立てた。小学を、未央宮の西に立てた。

劉曜は、崔岳に吹き込まれたのかも知れない。
「西晋のように、ムダに肥大化して、指先に注意が回らないような帝国はダメだ。小さくてもいいから、儒学を身に付けた人士が、ちゃんと活躍できる国を作れ。そのためには、漢代の太学を復興せよ」
劉淵や劉聡は、劉曜よりも教養があり、治める国が強かった。だが劉淵や劉聡は、太学を作らなかった。劉曜の独創で、こりゃ無理だろう。第三者による入れ知恵を疑いたくなる。もし遊子遠が献策したら、そう載るはずだし。

万民から、13歳以上で25歳未満の子供を選び出した。精神や志向が、教育に向いている1500人を入学させた。朝賢を選び、宿儒学の明經を修得しており、學の篤い人が教員になった。

上の訳注に追加。ハンバーグを湯煎したら思いついた。
劉淵と劉聡は、前漢の継承を狙った。前漢で儒教は、まだ育っていない。劉秀と曹操は「なかったこと」だと否定された。
劉曜は、後漢や曹魏をリセットするほどの過激派ではない。儒家が秩序を保った歴史を、受け入れている。これが、劉淵と劉聡は太学を作らず、劉曜は太学を作った理由だ。

中書監の劉均に、國子祭酒を領ねさせた。崇文祭酒を設置し、秩禄は國子に次いだ。散騎侍郎の董景道は、経典に詳しいので、崇文祭酒に抜擢した。遊子遠を大司徒にした。

コンストラクション

曜命起酆明觀,立西宮,建陵霄台于滈池,又將於霸陵西南營壽陵。侍中喬豫、和苞上疏諫曰:

劉曜は、「酆明觀を起こし、西宮を立て、陵霄台を滈池に建てよ。霸陵の西南に、壽陵を営め」と命じた。

平たく言えば、「大工事を命じた」だ。君主のクセである。

侍中の喬豫と和苞は、上疏して諌めた。

「臣聞人主之興作也,必仰准乾象,俯順人時,是以衛文承亂亡之後,宗廟社稷流漂無所,而猶上候營室以構楚宮。彼其急也猶尚若茲,故能興康叔、武公之跡,以延九百之慶也。奉詔書將營酆明觀,市道芻蕘鹹以非之,曰一觀之功可以平涼州矣。又奉敕旨複欲擬阿房而建西宮,模瓊台而起陵霄,此則費萬酆明,功億前役也。以此功費,亦可以吞吳蜀,翦齊魏矣。陛下何為于中興之日而蹤亡國之事!自古聖王,人誰無過!陛下此役,實為過舉。過貴在能改,終之實難。又伏聞敕旨將營建壽陵,周回四裏,下深二十五丈,以銅為棺郭,黃金飾之,恐此功費非國內所能辦也。且臣聞堯葬谷林,市不改肆;顓頊葬廣陽,下不及泉。聖王之於終也如是。秦皇下錮三泉,周輪七裏,身亡之後,毀不旋踵,暗主之於終也如此。向魋石槨,孔子以為不如速朽;王孫倮葬,識者嘉其矯世。自古無有不亡之國,不掘之墓,故聖王知厚葬之招害也,故不為之。臣子之于君父,陵墓豈不欲高廣如山嶽哉!但以保全始終,安固萬世為優耳。興亡奢儉,冏然於前,惟陛下覽之。」

「(抄訳)建設をすべきかは、国力をカウントして決めるべきです。衛の文公は節約して成功しました。900年経っても、祝福されています。
巷では『劉曜さまは酆明觀を作れというが、そのリソースを涼州に向ければ、張氏の前涼を平定できるのに』という声もあります。呉(東晋)蜀(成漢)斉(曹嶷)魏(石勒)の相手をする方が、絶対に優先だと思いますけどね」

曜大悅,下書曰:「二侍中懇懇有古人之風烈矣,可謂社稷之臣也。非二君,朕安聞此言乎!以孝明於承平之世,四海無虞之日,尚納鐘離一言而罷北宮之役,況朕之暗眇,當今極弊,而可不敬從明誨乎!今敕悉停壽陵制度,一遵霸陵之法。《詩》不雲乎:'無言不酬,無德不報。'其封豫安昌子,苞平輿子,並領諫議大夫。可敷告天下,使知區區之朝思聞過也。自今政法有不便於時,不利社稷者,其詣闕極言,勿有所諱。」省酆水囿以與貧戶。

劉曜は大悅し、下書して曰く。
「(抄訳)2人の侍中が懇願した内容には、古人の風烈がある。社稷の臣と言うべきである。

戦争ばかりやってたので気づかなかったが、劉曜のキャラクターは古風な雰囲気が好きなのようです。褒め言葉に表れている。
氐や羌と戦争を、不必要に激化させたのも、異民族を軽んじる儒教に染まっているからか。まあ自分が匈奴なんだけれども(笑)

もしこの2人の侍中の口から出ていなければ、私は耳を貸さなかったところだ。

それも・・・ダメだろ。

後漢の明帝は、目ぼしい外敵がいなくても、鐘離氏が『北宮の労役を辞めて下さい』と言えば、中止した。まして私は明帝よりバカで、国力も後漢より弱い。建設はキャンセルする。有益なアドバイスをしてくれたから、喬豫を安昌の子爵に、和苞を平輿の子爵とする。2人とも、諫議大夫を兼ねさせよ。国家のために、どんどん発言してくれ」
酆水の工事をするのをやめて、貧民に施した。

天からのメッセージ

終南山崩,長安人劉終於崩所得白玉方一尺,有文字曰:「皇亡,皇亡,敗趙昌。井水竭,構五梁,咢酉小衰困囂喪。嗚呼!嗚呼!赤牛奮靷其盡乎!」時群臣咸賀,以為勒滅之征。曜大悅,齋七日而後受之於太廟,大赦境內,以終為奉瑞大夫。

ついに南山が崩れた。長安の人である劉終は、山が崩れたところで、1尺四方の白玉を見つけた。白玉には、文字が刻まれていた。
「皇亡,皇亡,敗趙昌。井水竭,構五梁,咢酉小衰困囂喪。嗚呼!嗚呼!赤牛奮靷其盡乎!」

次の段で、劉均が読み方を説明してくれるので、待ちましょう。ぼくが解釈しても、どうせ何も当たりません(笑)
儒教が重んじられると、王莽や劉秀のときに似て、こういう神託が降りるのです。ちょっと文章が長すぎるからさ、神託の仕掛け人のセンスを疑うよ。ぼくがやるなら「皇亡,皇亡,敗趙昌」だけにするのに。作為が臭すぎる。
短ければ、まるで古代史の研究者が、1文字に10000本の論文を書くみたいにさ、どうにでも読めるじゃん。

ときに群臣はみな祝った。白玉の文字が、石勒の滅亡を示すと思ったからである。劉曜も大悅して、齋七日した後に、太廟に報告した。領内を大赦した。劉終を、奉瑞大夫とした。

職名は「瑞祥を奉った大夫」だが、再現性がない。っていうか、再現性があったら怪しくなる。ゴッドハンドとか言われてしまう。


中書監劉均進曰:「臣聞國主山川,故山崩川竭,君為之不舉。終南,京師之鎮,國之所瞻,無故而崩,其凶焉可極言!昔三代之季,其災也如是。今朝臣皆言祥瑞,臣獨言非,誠上忤聖旨,下違眾議,然臣不達大理,竊所未同。何則?玉之于山石也,猶君之於臣下。山崩石壞,象國傾人亂。'皇亡,皇亡,敗趙昌者',此言皇室將為趙所敗,趙因之而昌。今大趙都于秦雍,而勒跨全趙之地,趙昌之應,當在石勒,不在我也。'井水竭,構五梁'者,井謂東井,秦之分也,'五謂五車',梁謂大樑,五車、大樑,趙之分也,此言秦將竭滅,以構成趙也。'咢'者,歲之次名作咢也,言歲馭作咢酉之年,當有敗軍殺將之事。'困'謂困敦,歲在子之年名,玄囂亦在天之次,言歲馭于子,國當喪亡。'赤牛奮靷'謂赤奮若,在醜之歲名也。'牛'謂牽牛,東北維之宿,醜之分也,言歲在醜當滅亡,盡無複遺也。此其誡悟蒸蒸,欲陛下勤修德化以禳之。縱為嘉祥,尚願陛下夕惕以答之。《書》曰:'雖休勿休。'願陛下追蹤周旦盟津之美,捐鄙虢公夢廟之凶,謹歸沐浴以待妖言之誅。」

中書監の劉均が、進んで言った。
「(超抄訳)白玉のメッセージは、石勒が滅びるのではなく、石勒が劉曜さまを滅ぼす意味です。浮かれている場合ではありません」

劉曜も石勒も、どちらも国号を「趙」にしているから、どちらでも読めてしまう。


曜憮然改容。禦史劾均狂言瞽說,誣罔祥瑞,請依大不敬論。曜曰:「此之災瑞,誠不可知,深戒朕之不德,朕收其忠惠多矣,何罪之有乎!」

劉曜は、憮然として態度を改めた。禦史は、
「劉均はウソを吐き、せっかくの祥瑞を曲解した。不敬罪で罰するべきだ」
と言った。劉曜は、応えた。
「この災瑞(凶兆)は、劉均が言ってくれないと、分からなかった。深く私の不徳を戒める。私は、劉均の忠惠さをたっぷり受け入れる。なんで劉均を罪としようか」