6)朝鮮での回想シーン
遊子遠という名宰相が発掘できた「劉曜伝」です。
異民族の平定がとりあえず終わったので、劉曜が宴を開きました。
劉秀と曹操を再現する
曜大悅,宴群臣於東堂,語及平生,泫然流涕,遂下書曰:「蓋褒德惟舊,聖後之所先;念惠錄孤,明王之恆典。是以世祖草創河北,而致封于嚴尤之孫;魏武勒兵梁宋,追慟於橋公之墓。前新贈大司徒、烈湣公崔岳,中書令曹恂,晉陽太守王忠,太子洗馬劉綏等,或識朕于童齔之中,或濟朕於艱窘之極,言念君子,實傷我心。《詩》不雲乎:'中心藏之,何日忘之!'岳,漢昌之初雖有褒贈,屬否運之際,禮章莫備,今可贈嶽使持節、侍中、大司徒、遼東公,恂大司空、南郡公,綏左光祿大夫、平昌公,忠鎮軍將軍、安平侯,並加散騎常侍。但皆丘墓夷滅,申哀莫由,有司其速班訪嶽等子孫,授以茅土,稱朕意焉。」
劉曜は大悅し、群臣と東堂で宴会を開いた。劉曜は戦勝の話では盛り上がったが、平生の話になると、泫然と流涕した。劉曜は、下書した。
書面に曰く、
「(抄訳)旧恩を忘れてはだめだ。だから劉秀は嚴尤の孫を封じ、曹操は橋玄の墓の前で慟哭した。
前新贈大司徒で烈湣公の崔岳、中書令の曹恂、晉陽太守の王忠、太子洗馬の劉綏らは、私を助けてくれた。官位を追贈する。みな墓の場所が分からんので、曹操の再現はできない。せめて子孫を見つけて取り立て、劉秀を再現せよ」
「劉曜は、劉秀や曹操なんて目じゃない」
と言われてたのに、自ら劉秀や曹操に留まった。空前の大帝国より、地道な割拠政権を目標にしている。
志の高さや規模感って、他人に動かされるものじゃない。高くてデカいことばかりが、正解じゃない。劉曜と劉聡は異質な人間なのです。
亡命したときの回想エピソード
初,曜之亡,與曹恂奔于劉綏,綏匿之於舊匱,載送於忠,忠送之朝鮮。歲餘,饑窘,變姓名,客為縣卒。嶽為朝鮮令,見而異之,推問所由。曜叩頭自首,流涕求哀。嶽曰:
(上段で劉曜が報いた、旧恩の詳細です)
西晋の時代、劉曜が亡命したとき、曹恂とともに、劉綏のところに逃げた。劉綏は、劉曜たちを古いハコの中に匿った。劉綏はハコごと、劉曜を王忠のところに運んで逃がした。王忠は、劉曜を朝鮮に送ってくれた。
数年たち、劉曜は衣食にも困った。姓名を変えて、県兵の食客となった。
崔岳が朝鮮令になると、亡命中の劉曜と会った。崔岳は劉曜をただならぬ人物だと思い、素性を聞いた。劉曜は叩頭して、正体を自首した。劉曜は流涕して、哀れみを求めた。崔岳は言った。
「卿謂崔元嵩不如孫賓碩乎,何懼之甚也!今詔捕卿甚峻,百姓間不可保也。此縣幽僻,勢能相濟,縱有大急,不過解印綬與卿俱去耳。吾既門衰,無兄弟之累,身又薄祜,未有兒子,卿猶吾子弟也,勿為過憂。大丈夫處身立世,鳥獸投人,要欲濟之,而況君子乎!」
「劉曜よ、あなたはこの崔元嵩(私)が、孫賓碩に劣っていると言うのですか。どうしてそんなに懼れるのだ。
「孫賓碩に劣らない」とは、「政府が罪人と認定していても、立派な人物ならば、責任もって味方するつもりだ」ということ。
いま西晋では、劉曜を捕えよと、厳しい詔が出ている。民間にいては、逃げ切ることができない。朝鮮県は、国土の端である。私が県の役所で、守ってやろう。もし中央からの捜索があっても、私は県令を辞職して、劉曜とともに去るだけだ。
私の一門は、すでに衰えた。兄弟に連なる親戚はいない。我が身が薄祜なので、子供もいない。私は劉曜を、自分の子弟のように思う。
劉曜ら匈奴は、貴族に匹敵する学問があるのに、血筋ゆえに迫害された。負け犬の傷舐めだが、美しくもある。
劉曜は、正体を私に自白したが、心配は要らないよ。大丈夫たる者は、身を處しくして世に立つのだ。大丈夫のところに鳥獸が飛び込んでくれば、殺す気にならず、逆に救いたくなる。まして、劉曜のような君子が飛び込んでくれば、救わずにいられようか」
給以衣服,資供書傳。曜遂從嶽,質通疑滯,恩顧甚厚。岳從容謂曜曰:「劉生姿宇神調,命世之才也!四海脫有微風搖之者,英雄之魁,卿其人矣。」
崔岳は、劉曜に衣服をプレゼントして、書傳を買い与えてくれた。
崔岳が世に発揮できなかった、志の大きさを感じる。無念さが増す。
西晋の官界への呪いを、劉曜は崔岳から注入されたか。
劉曜は崔岳に従い、質通疑滯、恩顧はとても厚かった。崔岳は從容として劉曜に言った。
「劉曜は、姿に神調を宿して生まれた。劉曜は、命世の才を持っている。
なにせ2メートルだから、亡命して隠れていたときも、人相書きを待つまでもなく、バレバレである。だからあっさり自白したんだろう(笑)
西晋の領域から抜け出して、微風で西晋を揺らす人で、英雄の先駆けとなるのは、他ならぬ劉曜である」
「微風で揺らす」とか言っているが、「西晋を滅ぼせ」ということである。崔岳は、本当に西晋での不遇が悔しかったんですね。
劉曜が、洛陽で虐殺をやった理由は、養父への恩返しでした。完全解決!
曹恂雖於屯厄之中,事曜有君臣之禮,故皆德之。
曹恂は喪中だったが、劉曜に君臣の礼で仕えた。人々は、劉曜と曹恂のリレイションを見て、人徳だと褒めた。