表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』載記の劉曜伝から、匈奴の儒教皇帝の限界を見る

11)前涼の張茂が称藩する

涼州には、301年に漢族の張軌が赴任してから、半独立をしている国があります。「前涼」と呼びます。きっと君主も領民も善良なのでしょう。
五胡十六国で、もっとも長く続く国です。手ごわいよ。

前涼を30万で脅す

時劉岳與涼州刺史張茂相持於河上,曜自隴長驅至西河,戎卒二十八萬五千,臨河列營,百餘裏中,鐘鼓之聲沸河動地,自古軍旅之盛未有斯比。茂臨河諸戍皆望風奔退。揚聲欲百道俱渡,直至姑臧,涼州大怖,人無固志。

ときに劉岳と、涼州刺史の張茂は、黄河を隔てて対峙していた。

テレビドラマのような、スピーディな導入だこと。
張茂というのは、建国者・張軌の子です。

劉曜は、隴城から長驅して、西河に到った。
劉曜は、戎卒285000を率いて、黄河を臨んで軍営を並べた。100餘里も先から、鐘鼓の音が聞こえて、黄河を沸かせ、地を震わせた。古代より、これほどの軍容は例がないことだ。

たしかに涼州にそんなに兵力を割いた前例はないか?

張茂は黄河に臨んだ。守兵たちは、みな風を浴びて(劉曜の大軍を感じ取り)、逃げ出した。
劉曜は声を揚げて、百道から一斉に黄河を渡り、前涼の首都・姑臧に直行しようとした。涼州は大怖して、抵抗する気にならなかった。

諸將鹹欲速濟,曜曰: 「吾軍旅雖盛,不逾魏武之東也。畏威而來者,三有二焉。中軍宿衛已皆疲老,不可用也。張氏以吾新平陳安,師徒殷盛,以形聲言之,非彼五郡之眾所能抗也,必怖而歸命,受制稱籓,吾複何求!卿等試之,不出中旬,張茂之表不至者,吾為負卿矣。」

前趙の諸将は、さっさと遠征を終わらせるべきだと思ったから、劉曜に言った。
「わが前趙の軍旅は盛んですが、山東まで領土を持っていた魏武(曹操)には劣ります。前趙の威を畏れて、いま涼州に従軍している人は、3分の2を占めます。

劉曜は関中で異民族を切り従えまくった。従えたから涼州に、空前の大人数で遠征できた。だが遠征軍は異民族の混成部隊である。イヤイヤ従軍している人が大半だ。
のちに前秦の苻堅が、混成軍の弱さに露骨に苦しんだ。日本が追い返した元寇なんか、その最たる例です。
青州兵に裏付けられた、曹操とは、残念ながら底力が違う。

中軍の宿衛は、すでにみな疲老し、使い物になりません。前涼の張氏は、
『前趙は、新たに陳安を平定した。前趙の軍は、殷盛だぞ』
とウワサし合っています。前涼の5郡には、前趙への抵抗はできません。必ず前趙を怖れて、命令に従ってくるでしょう。前涼を前趙に称藩させてしまえば充分で、他に何を求めますか。

劉曜は、前涼を滅亡させ、完全に版図に組み込もうとしている。それに対する、諸将の牽制でしょう。

前涼が帰順してくるかどうか試しましょう。大軍を10日間は止めます。もし張茂から、称藩の上表が届かなければ、私が責任を取ります」

前涼が前趙に称藩する

茂懼,果遣使稱籓,獻馬一千五百匹,牛三千頭,羊十萬口,黃金三百八十斤,銀七百斤,女妓二十人,及諸珍寶珠玉、方域美貨不可勝紀。

張茂は劉曜を懼れて、果たして称藩の使者をよこした。

前秦の苻堅も、下手に長江を渡ろうとせず、東晋を威圧すれば勝てたかも知れない。いや、東晋には、前涼と違って「西晋を継ぐもの」という自負があるから、待てど暮らせどダメか。
曹操の赤壁しかり、劉曜の前涼攻めしかり、有効に動かせる軍の人数には、上限があるらしい。あるラインを越えると、逆に弱くなるとか?
「率いる兵が多ければ多いほど、オレは強くなる」
と言った韓信に、教えてもらいたいものだ。

前涼から前趙へ、馬一千五百匹,牛三千頭,羊十萬口,黃金三百八十斤,銀七百斤,女妓二十人を献じてきた。諸珍寶珠玉や、方域美貨など、『晋書』に書ききれないほどの物品が送られてきた。

曜大悅,使其大鴻臚田崧署茂使持節、假黃鉞、侍中、都督涼南北秦梁益巴漢隴右西域雜夷匈奴諸軍事、太師、領大司馬、涼州牧、領西域大都護、護氐羌校尉、涼王。曜至自河西,遣胡元增其父及妻墓高九十尺。

劉曜は大悅し、大鴻臚の田崧に命じて、張茂を任じさせた。
張茂が任じられたのは、使持節、假黃鉞、侍中、都督涼南北秦梁益巴漢隴右西域雜夷匈奴諸軍事、太師、領大司馬、涼州牧、領西域大都護、護氐羌校尉、涼王である。

匈奴の軍事も預けちゃうんだね。劉曜は、「前趙の支配層は、もはや匈奴ではない」という認識なのか?

劉曜は、自ら黄河を渡って西岸に到り、胡元を遣わして、張茂の父と妻の墓を、高さ90尺に高くしてやった。

誰の父と妻か分からないが、文脈からすると、張茂のだよね。書ききれないほどの貢物の返礼が、墓の修繕。劉曜なりの恩徳である。
今後も前涼は、節操なく強国に帰順する。後継争いで、肉親が殺しあう。前涼は、儒教的な名目を、それほど大事にしない国じゃないか。墓を盛られても、あまり嬉しくなかったと思うが。

仇池の反応

楊難敵以陳安既平,內懷危懼,奔於漢中。鎮西劉厚追擊之,獲其輜重千餘兩,士女六千餘人,還之仇池。曜以大鴻臚田崧為鎮南大將軍、益州刺史,鎮仇池,以劉嶽為侍中、都督中外諸軍事,進封中山王。

楊難敵は、陳安が平定されたのを見て、内心で危懼を抱いた。

「次に片付けられるのは、自分じゃないか」と。楊難敵は、陳安と自分の立場が同じだと思っていたようで。前趙にとって、外様勢力である。
楊難敵の自意識が、背伸びなのか、妥当なのか、まだ判断が付きません。

楊難敵は、漢中に逃げた。鎮西将軍の劉厚は、楊難敵を追撃した。劉厚は、楊難敵の輜重1000余兩を奪い、士女6000余人を捕まえ、仇池に戻してやった。

逃げる人は仕方ないが、基本は融和政策なのです。

劉曜は、大鴻臚の田崧を、鎮南大將軍、益州刺史として、仇池に出鎮させた。

大鴻臚は、国外からの朝貢の使者や、国内の皇族をもてなす仕事です。田崧の交渉力が評価されたのでしょう。

劉嶽を侍中、都督中外諸軍事として、進めて中山王に封じた。

楊難敵には、ちゃんと最終章が用意されています。『晋書』が語ってくれるのを待ちましょう。。
話は、劉曜の後継選びに飛びます。