表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』載記の劉曜伝から、匈奴の儒教皇帝の限界を見る

15)10リットルを飲酒して合戦

石氏に敗れたせいで、前涼が離反した。大軍で圧倒したときは、すぐに降ってきたくせに。
「後趙と戦って勝ち、戦わずして前涼を従える」
とは、兵法の達人みたいで、カッコいいじゃないか。

洛陽の占領成功!

石勒遣石季龍率眾四萬,自軹關西入伐曜,河東應之者五十餘縣,進攻蒲阪。曜將東救蒲阪,懼張駿、楊難敵承虛襲長安,遣其河間王述發氐羌之眾屯于秦州。

石勒は、石虎に40000を率いさせ、軹關から西へ向い、関中に入った。劉曜を討つためである。河東郡で、石虎に従ったのは、50余県だった。

河東郡は、漢の都・平陽の南だが、もう石勒の領土である。

石虎は進み、蒲阪を攻めた。
劉曜は、兵を率いて東に進み、蒲阪を救おうとした。だが劉曜は、張駿と楊難敵に、手薄になった長安を襲われることを懼れた。そこで劉曜は、河間王の劉述に、氐羌の軍を任せて、秦州に屯させた。

もし洛陽で1度負けてなければ、楊難敵も張駿も、まるで小粒の二流だった。
だがいまは、背後を狙える脅威。関中を出るとは、それだけでリスクだ。


曜盡中外精銳水陸赴之,自衛關北濟。季龍懼,引師而退。追之,及于高候,大戰,敗之,斬其將軍石瞻,枕屍二百餘裏,收其資仗億計。 季龍奔於朝歌。曜遂濟自大陽,攻石生於金墉,決千金堨以灌之。

劉曜は、中外の精鋭をすべて動員し、水路と陸路で蒲阪に赴いた。

せっかくなら兵数を書いてほしかった。

關の北を守りながら、黄河を渡った。石虎は劉曜を懼れて、撤退した。劉曜は、石虎を追撃して、高候で追いついた。大戰して、劉曜が勝った。
劉曜は、石虎の将軍・石瞻を斬った。

劉曜が勝った!載記の「劉曜伝」を読んでいるから、主役が勝つと嬉しくなる。

後趙の死体は、200余里にわたって横たわり、没収した軍資は億をかぞえた。
石虎は、朝歌に逃げた。劉曜は大陽で渡り、金墉で石生を攻めた。千金堨を決壊させ、金墉城を水浸しにした。

曜不撫士眾,專與嬖臣飲博,左右或諫,曜怒,以為妖言,斬之。大風拔樹,昏霧四塞。聞季龍進據石門,續知勒自率大眾已濟,始議增滎陽戍,杜黃馬關。俄而洛水候者與勒前鋒交戰,擒羯,送之。

劉曜は、兵士たちを可愛がらず、もっぱら気に入った臣下とだけ、宴会を開きまくった。

洛陽は、ほぼ手に入れられるだろう。そう思えば、「らしくない」油断も出てしまう。全くこれまでの劉曜と違う。
つまり、洛陽は劉曜にとって、病んでも足りないほどの悲願だったということだ。

左右の人が、劉曜を諌めた。劉曜は怒り、妖しげなことを言って、諫言した人を斬った。

宝くじが当たった人が、人生を狂わせないように、読まされる本があるらしい。劉曜にも、同じものを読ませるべきだな。

大風が起こり、樹を拔いた。昏い霧が、四方を塞いだ。
劉曜は、石虎が進んで石門に拠ったと聞いた。続いて劉曜は、石勒が、自ら大軍を率いて、すでに黄河を渡ったと聞いた。
劉曜は、滎陽の守備と、杜黄馬關を増強することを検討し始めた。
にわかに洛水に斥候していた隊が、石勒の前鋒と交戰した。羯を捕えて、劉曜のとlころに送ってきた。

羯族とは、石勒の出身民族です。

迫りくる石勒、壊れる劉曜

曜問曰:「大胡自來邪?其眾大小複如何?」羯曰:「大胡自來,軍盛不可當也。」曜色變,使攝金墉之圍,陳於洛西,南北十餘裏。曜少而淫酒,末年尤甚。勒至,曜將戰,飲酒數鬥,常乘赤馬無故局頓,乃乘小馬。比出,複飲酒鬥餘。

劉曜は、斥候が捕えた羯族に聞いた。
「大胡(石勒)は、自ら来たのか?石勒の援軍は、規模はどんなだ?」
羯族は言った。
「大胡(石勒さま)は、自らいらっしゃった。後趙の援軍は盛んで、前趙が敵うべくもないのだ」
劉曜は顔色を変えて、金墉城の包囲を解かせた。軍を、洛西に南北10余里で展開した。

言うまでもないが、石勒に備えるためである。
捕虜の言ったことを真に受けるとは、司令官としての素質を疑う。次文にあるように泥酔してたな、こりゃ。

劉曜は、若いときから酒に溺れ、晩年になるとエスカレートした。石勒が到着すると、劉曜は出陣する前に、酒を数斗(5リットル)引っかけた。
出陣するころ、ふたたび酒を1斗余(2リットル強)飲んだ。

いったいこれは、何でしょう。ただの酒飲みなら、親の敵みたい酒を飲まないよ。いま考えられる可能性は、4つ。
1つ。『晋書』の脚色。西晋を滅ぼした趙漢に、無惨な末路を演じさせて、スカッとした。溜飲を下げた。
2つ。『晋書』の脚色。劉曜は強いはずなのに、洛陽であまりにあっさり負ける。劉淵以来の強盛とのギャップに、説明が付かない。そこで、説得力のある理由を求めた。若年のとき、酒の失敗エピソードがあるわけじゃないのに、いきなり酒飲みキャラに、設定変更させられた。
下に続きます。

劉曜は、いつも乗っている赤い馬から、酔って落っこちた。小さな馬に乗り換えた。

3つ。劉曜は石勒がとても怖かった。かつて劉淵の下で、同僚の将軍だったから、石勒の実力を知る。
4つ。劉曜は関中を出て中原に出るだけで、心が壊れそうだ。なぜなら、軍事的には関中が有利。だが皇帝という称号を名乗る限り、洛陽の支配は必須。だから洛陽攻めは、やらずに済まない。アクセルとブレーキを同時に踏み、身体が左右に割けそうである。
おまけに、「洛陽で負けると、失敗が天下の耳目に晒され、挽回が利きにくい」という事情もある。局地戦なら、すぐ挽回できるのに。いまもテレビ中継で、楊難敵と張駿が見守っている。堪えかねて、飲んだ。


至於西陽門,捴陣就平,勒將石堪因而乘之,師遂大潰。曜昏醉奔退,馬陷石渠,墜於冰上,被瘡十餘,通中者三,為堪所執,送於勒所。

劉曜は西陽門に到り、全ての陣を整列させた。
石勒の将軍・石堪は、劉曜の布陣が終わっていないことに乗じた。
劉曜の軍は、大いに潰走した。劉曜は、昏醉しつつ逃げた。馬が石渠を陷み、劉曜は氷の冰上に墜ちた。10余の傷を負った。身体の中まで浸透する重傷は、そのうち3つだった。
劉曜は石堪に捕われ、石勒のところに送られた。

曜曰:「石王!憶重門之盟不?」勒使徐光謂曜曰:「今日之事,天使其然,複雲何邪!」幽曜于河南丞廨,使金瘡醫李永療之,歸於襄國。

劉曜は言った。
「石王は、重門之盟を憶えていないか?」

西晋の洛陽を攻めるときの約束ですね。ともに劉淵の将軍でした。

石勒は、徐光を介して、劉曜に伝えた。
「今日之事は、天がこのようにさせたのだ。ふたたび何を言うことがあるか」

「天のせい」とは、非科学的であるが、正解である。劉曜は石勒に当たる前から、「天命を頂く皇帝」というパラダイムに押しつぶされ、勝手に自滅した。

劉曜は、河南の丞廨に幽閉された。
金瘡を治せる医者の李永に、劉曜を治療させた。石勒の使者・徐光は、襄國に帰った。