表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』載記の劉曜伝から、匈奴の儒教皇帝の限界を見る

14)金の顔、無言の赤いくちびる

洛陽攻めに失敗して、発病した劉曜。
後漢王朝の政治スタイルと、匈奴を中心とする異民族のパワーを結集した王朝として、自らを再定義しました。国勢は最高潮に達しているように見えます。果たして、洛陽を獲れるのか?

皇后・劉氏のわがまま

曜妻劉氏疾甚,曜親省臨之,問其所欲言。劉泣曰:「妾叔父昶無子,妾少養于叔,恩撫甚隆,無以報德,願陛下貴之。妾叔皚女芳有德色,願備後宮。」曜許之。言終而死,偽諡獻烈皇后。

劉曜の妻の劉氏が、危篤になった。劉曜は、自ら看病をして、望みを聞いた。劉氏な、泣きながら言った。
「私の叔父・劉昶は子供がおらず、幼い私を養ってくれました。恩撫はとても隆く、徳に報いることが出来ませんでえした。どうか叔父の劉昶に、高い官位を下さい。また叔父の劉皚には、劉芳という娘がいます。どうかその娘を、後宮に入れて下さい」

死に際の願い事に文句を付けるのは、人としてどうかと思うけどさ(笑)ぼくは気に入らんねえ。けっきょく身内に便宜を図ってくれと言っているだけじゃん。

劉曜は、劉氏の願いを許した。言い終わると、劉氏は死んだ。「獻烈皇后」と贈られた。

以劉昶為使持節、侍中、大司徒、錄尚書事,進封河南郡公,封昶妻張氏為慈鄉君,立劉皚女芳為皇后,追念劉氏之言也。俄署驃騎劉述為大司徒,劉昶為太保。

叔父の劉昶を使持節、侍中、大司徒、錄尚書事として、進めて河南郡公に封じた。劉昶の妻である張氏を慈鄉君に封じた。叔父の劉皚の娘・芳を皇后とした。全て劉氏の言ったとおりしたのである。

ひどい展開ですが、、「同姓を娶らず」を無視することが、劉聡以来、当たり前になっている、この国です。外戚を寵愛することは、皇族を強化することになるから、あながち批判ばかりできない?

にわかに劉曜は、驃騎将軍の劉述を大司徒とし、劉昶を太保とした。

召公卿已下子弟有勇幹者為親禦郎,被甲乘鎧馬,動止自隨,以充折沖之任。尚書郝述、都水使者支當等固諫,曜大怒,鴆而殺之。

公卿以下の子弟のうち、勇幹な人を召して、親禦郎とした。
親禦郎は、鎧を着て、鎧つきの馬に乘った。動止は指示どおりに完璧にできた。折沖之任(皇太子の防衛)を果たした。
尚書の郝述と、都水使者の支當らが、つよく諌めた。

親禦郎は、 後漢の霊帝の西園八校尉とか、自称「無上将軍」とかに似ている。国の外縁が弱くなると、皇帝は身の回りだけでも固めたくなるのか。
どうせ国が弱まれば、またパニックになる。親禦郎の実益と言えば、皇帝の精神安定剤、くらいのものか。

劉曜は大怒し、諌めた2人を鴆毒で殺した。

精神安定剤を購入する薬代を「浪費だ。やめよ」と言われたら、怒るよ。

国の滅びる夢

鹹和三年,夜夢三人金面丹脣,東向逡巡,不言而退,曜拜而履其跡。旦召公卿已下議之,朝臣咸賀以為吉祥,惟太史令任義進曰:「三者,曆運統之極也。東為震位,王者之始次也。金為兌位,物衰落也。脣丹不言,事之畢也。逡巡揖讓,退舍之道也。為之拜者,屈伏於人也。履跡而行,慎不出疆也。東井,秦分也。五車,趙分也。秦兵必暴起,亡主喪師,留敗趙地。遠至三年,近七百日,其應不遠。願陛下思而防之。」

鹹和三(328)年、劉曜は夜に夢を見た。
顔面が金色で、くちびるの赤い3人が現れた。3人は、東を向いて立ち止まり、何も言わずに立ち去った。劉曜は拝礼して、その足跡を踏んだ。
翌朝、劉曜は、公卿以下に夢占いを命じた。みな朝臣は、吉祥だと祝った。

前趙の群臣は、符命読みも夢占いもできない人ばかりである。だから、何が起きても「吉祥でございますー」とか言ってしまう。劉曜が求める、後漢の朝廷のレベルに、臣下たちが達していない。

ただ、太史令の任義だけは、こう夢占いした。

「三者,曆運統之極也。東為震位,王者之始次也。金為兌位,物衰落也。脣丹不言,事之畢也。逡巡揖讓,退舍之道也。為之拜者,屈伏於人也。履跡而行,慎不出疆也。東井,秦分也。五車,趙分也。秦兵必暴起,亡主喪師,留敗趙地。遠至三年,近七百日,其應不遠。願陛下思而防之。」

「(抄訳)三、東、金、無言、を分析しますと、前趙が滅びる前兆です。

ついに、これを使ってしまった。

遅くとも3年、早くて700日で、前趙は滅びるでしょう。お気をつけ下さい」

曜大懼,於是躬親二郊,飾繕神祠,望秩山川,靡不周及。大赦殊死已下,複百姓租稅之半。長安自春不雨,至於五月。

劉曜は大懼し、自ら二郊で、神祠に飾繕した。望秩山川,靡不周及。
死刑以下の人を大赦した。また万民の租税を50%オフにした。
長安には、春から雨が降らず、5月になってしまった。

春は4月じゃなくて、1月です。当たり前だが・・・

前涼の自立

曜遣其武衛劉朗率騎三萬襲楊難敵于仇池,弗克,掠三千餘戶而歸。張駿聞曜軍為石氐所敗,乃去曜官號,複稱晉大將軍、涼州牧,遣金城太守張閬及枹罕護軍辛晏、將軍韓璞等率眾數萬人,自大夏攻掠秦州諸郡。

劉曜は、武衛将軍に劉朗に、騎兵30000を率いさせ、仇池にいる楊難敵を攻めた。楊難敵に勝てず、3000余戸を連れ帰っただけだった。

仇池の楊氏は、じつは隋代まで残るそうです。カンタンに滅ぼそうとするのは、難しい。五胡十六国に限定しても、443年に北魏が滅ぼすまで、「前仇池」「後仇池」が起こる。

前涼の張駿は、劉曜の軍が、後趙の石氏と、氐族の楊難敵に敗れたことを聞いた。張駿は、劉曜に与えられた官號を捨て、晉の大將軍、涼州牧を自称した。

自立しつつも、晋の官位を名乗る。『三国志』の涼州は、いちおう韓遂が黒幕だけど、いまいち主体が分からん。でも五胡十六国の前半は、一貫して張氏がいるから、翩翻を追いやすい。感謝せねばね。

張駿は、金城太守の張閬と、枹罕護軍の辛晏と、將軍の韓璞らに命じ、数万を率いさせて、大夏から秦州の諸郡に来て、略奪をはたらいた。

曜遣劉胤率步騎四萬擊之,夾洮相持七十餘日。冠軍呼延那雞率親禦郎二千騎,絕其運路。胤濟師逼之,璞軍大潰,奔還涼州。胤追之,及于令居,斬級二萬。張閬、辛晏率眾數萬降於曜,皆拜將軍,封列侯。

劉曜は、劉胤に步騎40000を率いさせ、張駿を攻撃させた。洮水を挟んで、前趙と前涼は70余日を向かい合った。冠軍将軍の呼延那雞は、自ら2000騎を率いて、前涼の退路を絶った。
劉胤は、洮水を渡って前涼に迫った。
前涼の韓璞は、大いに潰走して、涼州に逃げ帰った。劉胤は韓璞を追い、令居で追いついた。劉曜は前涼の兵を、20000級斬った。

前趙が勝ち、前涼の負け。皇太子となることを辞退した、劉胤の手柄です。

前涼の張閬と辛晏は、兵数万を率いて、劉曜に降った。どちらも前趙の將軍となり、列侯に封じられた。

つぎは、ついに劉曜と石勒の最終決戦です。けっこう疲れた・・・
クライマックスです。もうしばらくお付き合いください。