表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』載記の劉聡伝を訳し、胡漢融合の可能性を探る

3)女癖が漢の道徳を破る

洛陽を落とした。もっとも国運が栄えていそうだ。だが、皇太弟とは、実母を巡ってトラブルがあった。子の劉粲は、降伏した司馬氏の王を殺した。身内にすでに火種がたくさん。

石勒が王弥を殺す

署劉曜為車騎大將軍、開府儀同三司、雍州牧,改封中山王,鎮長安,王彌為大將軍,封齊公。尋而石勒等殺彌於己吾而並其眾,表彌叛狀。聰大怒,遣使讓勒專害公輔,有無上之心,又恐勒之有二志也,以彌部眾配之。

劉聡は、劉曜を車騎大將軍として、開府儀同三司、雍州牧と任命し、改めて中山王に封じて、長安に出鎮させた。王弥を大將軍として、齊公に封じた。
石勒らは、王弥を殺した。石勒は、王弥の軍兵を自分のものにして、「王弥が謀反した」と上表した。
劉聡は大いに怒り、石勒が朝廷の大臣(王弥)を殺したことを責めた。劉淵は、石勒が漢帝を頂かない心を抱いていることを責めた。

「譲」には、責めるという意味があります。「責譲」という、同意語を重ねた熟語もある。

だが劉聡は、石勒が漢から自立する志を抱くことを恐れた。劉聡は、もと王弥の軍兵を石勒に与えた。

賈詡の曾孫が、長安を奪回

劉曜既據長安,安定太守賈疋及諸氐羌皆送質任,唯雍州刺史麹特、新平太守竺恢固守不降。護軍麹允、頻陽令梁肅自京兆南山將奔安定,遇疋任子于陰密,擁還臨涇,推疋為平南將軍,率眾五萬,攻曜于長安,扶風太守梁綜及麹特、竺恢等亦率眾十萬會之。

劉曜は、長安に拠っていた。安定太守の賈疋および、もろもろの氐羌は、みな劉曜に人質を送った。

この「諸氐羌」の中に、五胡十六国の主役がいっぱいいるのです。
賈疋は、あの賈詡の曾孫です。なんともねえ、、文字どおり隔世の感。

しかし、雍州刺史の麹特と、新平太守の竺恢だけは、断固として劉曜に降らなかった。
西晋の護軍である麹允と、頻陽令の梁肅は、京兆尹の南山から、安定郡に逃げようとした。たまたま賈疋が出した人質と遭遇した。麹允と梁肅は、賈疋の人質をひそかに保護して、臨涇郡に引き返した。麹允と梁肅は、賈疋を平南將軍に推戴して、5万で長安の劉曜を攻めた。

さすが賈詡の曾孫は、旗印になりますね。
賈疋は、もう人質が取られていないから、打って出ることができた。麹允と梁肅のお手柄に見えるが・・・そうでもあるまい。賈疋は、身内の1人や2人が可愛くて、劉曜に従っていたのか?それって忠臣の振る舞いか?
曽祖父ゆずりで、自分の利に敏感なようです。

西晋の扶風太守の梁綜と、麹特や竺恢らも、10万を率いて長安に殺到した。


曜遣劉雅、趙染來距,敗績而還。曜又盡長安銳卒與諸軍戰于黃丘,曜眾大敗,中流矢,退保甘渠。杜人王禿、紀特等攻劉粲于新豐,粲還平陽。曜攻陷池陽,掠萬余人歸於長安。時閻鼎等奉秦王為皇太子,入于雍城,關中戎晉莫不回應。

劉曜は、劉雅と趙染に、長安を防御させた。だが、劉曜軍は敗れて、長安から逃げ出した。
劉曜は、長安に置いていた精鋭を、西晋の諸軍と黄丘で戦わせた。劉曜軍は大敗した。劉曜は、流矢を受けた。劉曜は、甘渠まで退いて陣を布いた。

奇跡的な長安の奪回。
三国ファンは、思い出さねばなりません。董卓が殺されて、涼州に逃げ去ろうとした李傕や郭氾を励まし、長安を奪回させたのが、賈詡でした。長安を追われた残党に、長安を取り戻させる。賈氏の血は健在です。
あのとき賈詡の長安奪還は、後漢を混迷に落とした。賈疋はどうでしょう。

杜人の王禿や紀特らは、劉粲を新豐で攻めた。劉粲は、平陽に逃げ帰った。劉曜は、池陽を攻め落として、万余人を捕虜にして、長安に戻った。
このとき閻鼎らは、西晋の秦王・司馬鄴を皇太子に奉って、雍城に入った。関中にいる異民族や晋の民で、西晋の皇太子に従わない人はいなかった。

司馬睿は江東で、求心力がなくて初めは苦労した。でも関中は、さすが北方です。晋の皇族のカリスマは、抜群に効きます。

同姓だけど、娶っちゃえ

聰後呼延氏死,將納其太保劉殷女,其弟乂固諫。聰更訪之于太宰劉延年、大傅劉景,景等皆曰:「臣常聞太保自雲周劉康公之後,與聖氏本源既殊,納之為允。」聰大悅,使其兼大鴻臚李弘拜殷二女為左右貴嬪,位在昭儀上。又納殷女孫四人為貴人,位次貴嬪。

劉聡は、皇后の呼延氏が死ぬと、太保の劉殷の娘を皇后にしようとした。だが、弟の劉乂が強く諌めた。

「同姓は娶らず」は、漢族の基礎中の基礎です。劉乂は、実母を兄に冒されているから、こういうことに敏感です。漢族の視点から、兄を監視しています。

劉聡は、太宰の劉延年や、大傅の劉景のところを訪れて、可否を問うた。劉景らが言うには、
「私は聞くところによると、太保の劉殷は、劉康の後裔だと言っています。劉聡さまと祖先が違うのですから、結婚しても良いと思います」

劉康って誰だろう。前漢の元帝の次男か、後漢の光武帝の五男か、後漢の献帝の孫か。候補はムダに多いが、匈奴系ではないので、同姓だが「親戚」ではない。
劉淵が王朝を作るときは、漢族の劉氏の兄弟を名乗った。だが劉聡が好きな女を娶るときは、漢族の劉氏と他人になった。設定が甘いぞ。
っていうか、気にとめずスルーしたけど「周の劉氏」って何だ?西周と東周は中原に都したから、統一王朝をそう呼ぶのか?そんな用法ないよなあ。『史記』の周本紀に、劉氏が出てくるのを知らないし。。

劉聡は大いに悦び、大鴻臚の李弘に、劉殷の2人の娘を召し出させて、左右の貴嬪とした。貴嬪とは、昭儀の上位である。
また、劉殷の孫娘4人を、貴人とした。貴人とは、貴嬪の次位である。

謂弘曰:「此女輩皆姿色超世,女德冠時,且太保於朕實自不同,卿意安乎?」弘曰:「太保胤自有周,與聖源實別,陛下正以姓同為恨耳。且魏司空東萊王基當世大儒,豈不達禮乎!為子納司空太原王沈女,以其姓同而源異故也。」聰大悅,賜弘黃金六十斤,曰:「卿當以此意諭吾子弟輩。」

劉聡は、李弘に言った。
「この娘たちは、みな姿色が超世である。女德は、当世のトップである。太保の劉殷の血筋は、オレとは違うから、この娘たちを娶ることができた。あなたは、私の結婚をどう思うか?」
李弘は答えた。
「太保の劉殷の血筋は、周代から続いているそうです。劉聡さまとは、別の家柄です。劉聡さまは、同姓を娶ったことを、心配に思っておられるのでしょうが、大丈夫です」
李弘は、大丈夫な根拠を説明した。
曹魏の司空を務めた東萊郡の王基は、當世の大儒でした。王基は大儒なので、礼をミスることは絶対にありません。王基は、自分の子のために、太原郡の王沈の娘を娶りました。『王』という姓は同じでも、東莱と太原というように、出身地が違った。本貫が異なる、別系統の王氏だったから、礼に反しない結婚でした」
劉聡は大いに悦び、李弘に黄金60斤を与えて言った。
「李弘よ。あなたの言ったロジックを使って、私の子弟たちに、私の結婚を説明しよう」

劉聡は、漢族と胡族の間で、ゆれ動いています。
キレイな女を見た。その女が弟の母だとか、同姓だとか、そういうロミオ的な状況になったとき、一線を越えてしまう。恋心が萎えるところまで、漢族の道徳が刻まれていない。
一方で、漢族への体面を気にしている。そもそも父の劉淵は、漢族に支持してもらえるように、国号を漢とした。皇帝が、漢族から見て野蛮人であれば、統治が成功するわけがない。だから、うまい言い逃れを求めた。李弘が、うまい逃げ道を用意してくれた。
劉聡は、李弘に黄金をたっぷり与えた。これは、キレイな女を遠慮なく抱けたことへの謝礼ではない。腕づくで、いくらでも抱ける。そうではなく、漢族への言い訳への著作権料である。


於是六劉之寵傾于後宮,聰稀複出外,事皆中黃門納奏,左貴嬪決之。

ここにおいて劉聡は、6人の劉氏の娘を後宮に入れた。劉聡は、めったに外に出ることなく、娘たちを愛した。政治の文書は、全て黄門が取次ぎをした。左貴嬪が、政策を裁可した。

皇后が6人とは、漢族の常識を外れる。高い武力と理想で国土を広げてみたが、文化への配慮が全く付いてきていない。同じ失敗は、身近にもありそう。
っていうか、胡漢の相克というより、ただの女好き?