表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』載記の劉聡伝を訳し、胡漢融合の可能性を探る

12)陳元達が死に、鼎立の再現へ

外戚の靳准は、皇太弟の劉乂に私怨があった。
そこで劉聡の子・劉粲に、
「前漢の成帝の二の舞を踏んではダメだ」
と自ら気づかせ、やる気にさせた。何をどうやる気になったかと言えば、劉粲の中に答えはない。
「いま、父・劉聡が後宮に籠もっている。この王朝のあり方から、何かを変えねば。何とかしなきゃ!
というモチベーションだけに、逸っている。若いんだ。
靳准は行きどころのない劉粲の改革意欲を、劉乂を殺すことに向けさせた。もはや前漢の成帝とか、まるで関係ない。前漢の故事は、催眠術の前口上みたいなものだった。
劉粲は、弱い頭で考えただろう。劉乂を倒せば、劉粲その人が皇帝になることが出来る。これだけの報酬がぶら下がれば、途中でロジックを誤魔化されていても、もう気にしない(笑)
ネタバレすると、劉聡が死ぬと、劉粲が皇帝になる。そのとき、政治を靳准に任せきりにした。そのせいで、漢は滅のですが。劉粲が、ワケも分からず靳准に任せるクセは、このときから始まった。

7人の卿を1日で殺した暴君

聰自去冬至是,遂不復受朝賀,軍國之事一決於粲,唯發中旨殺生除授,王沈、郭猗等意所欲皆從之。又立市於後庭,與宮人宴戲,或三日不醒。聰臨上秋閣,誅其特進綦毋達,太中大夫公師彧,尚書王琰、田歆,少府陳休,左衛蔔崇,大司農硃誕等,皆群閹所忌也。侍中蔔幹泣諫聰曰:

劉聡は、冬からこのときまで、一度も朝賀を受けなかった。軍事はすべて劉粲が決裁した。ただ死刑判決と人事異動だけは、王沈や郭猗らが発行した。

死刑判決と人事異動だけは・・・劉聡がやったと思った人がたくさんいたと思う(笑)王沈や郭猗にやらせるくらいなら、劉粲がやればいいのに。

劉粲は後宮の庭にマーケットを作り、宮人と宴戲した。遊びつかれて、3日起きないこともあった。
劉聡は秋に楼閣に現れ、特進の綦毋達と、太中大夫の公師彧と、尚書の王琰と田歆と、少府の陳休と、左衛の蔔崇と、大司農の硃誕らを誅殺した。殺された人は、みな宦官に忌み嫌われていた。
侍中の蔔幹が、泣いて劉聡を諌めた。

「陛下方隆武宣之化,欲使幽谷無考槃,奈何一旦先誅忠良,將何以垂之於後!昔秦愛三良而殺之,君子知其不霸。以晉厲之無道,屍三卿之後,猶有不忍之心,陛下如何忽信左右愛憎之言,欲一日屍七卿!詔尚在臣間,猶未宣露,乞垂昊天之澤,回雷霆之威。且陛下直欲誅之耳,不露其罪名,何以示四海!此豈是帝王三訊之法邪!」因叩頭流血。王沈叱幹曰:「蔔侍中欲距詔乎?」聰拂衣而入,免幹為庶人。

「(抄訳)むかし秦は3人の良き人を愛したが殺した。君子は秦の穆公が覇者になれないと理解した。晋の厲公は、3人の卿を殺したが、まだ忍びない心を持っていた。だが劉聡さまは、1日で7人の卿を殺した。秦や晋の2倍以上である。なぜ殺されたか、理由を公表してほしい
蔔幹は、叩頭して流血した。王沈は、蔔幹を叱った。
「蔔侍中は、詔に逆らうのか?」
劉聡は、衣を払って後宮に引っ込んだ。蔔幹は、免官されて庶民となった。

太宰劉易及大將軍劉敷、御史大夫陳元達、金紫光祿大夫王延等詣闕諫曰:
「臣聞善人者,乾坤之紀,政教之本也。邪佞者,宇宙之螟螣,王化之蟊賊也。故文王以多士基周,桓靈以群閹亡漢,國之興亡,未有不由此也。自古明王之世,未嘗有宦者與政,武、元、安、順豈足為故事乎!今王沈等乃處常伯之位,握生死與奪於中,勢傾海內,愛憎任之,矯弄詔旨,欺誣日月,內諂陛下,外佞相國,威權之重,侔於人主矣。王公見之駭目,卿宰望塵下車,銓衡迫之,選舉不復以實,士以屬舉,政以賄成,多樹奸徒,殘毒忠善。知王琰等忠臣,必盡節于陛下,懼其奸萌發露,陷之極刑。陛下不垂三察,猥加誅戮,怨感穹蒼,痛入九泉,四海悲惋,賢愚傷懼。沈等皆刀鋸之餘,背恩忘義之類,豈能如士人君子感恩展效,以答乾澤也。陛下何故親近之?何故貴任之?昔齊桓公任易牙而亂,孝懷委黃皓而滅,此皆覆車於前,殷鑒不遠。比年地震日蝕,雨血火災,皆沈等之由。願陛下割翦凶醜與政之流,引尚書、禦史朝省萬機,相國與公卿五日一入,會議政事,使大臣得極其言,忠臣得逞其意,則眾災自弭,和氣呈祥。今遺晉未殄,巴蜀未賓,石勒潛有跨趙魏之志,曹嶷密有王全齊之心,而複以沈等助亂大政,陛下心腹四支何處無患!複誅巫鹹,戮扁鵲,臣恐遂成桓侯膏肓之疾,後雖欲療之,其如病何!請免沈等官,付有司定罪。」

太宰の劉易と、大將軍の劉敷と、御史大夫の陳元達と、金紫光祿大夫の王延らは、闕に詣でて、劉聡を諌めた。
「(抄訳)善人が執政すれば整い、邪佞が政治をすれば腐る。だから、周の文王は、善き臣を集めて、周朝の基礎を築けた。後漢の桓帝や霊帝のとき、宦官が国を滅ぼした。宦官が政治に携わった悪いサンプルには、前漢の武帝と元帝、後漢の安帝と順帝がある。これだけサンプルがあれば、宦官に任せてはいけないと、分かるはずだ。斉の桓公は、易牙を任じて乱れた。蜀漢の劉禅は、黄皓に委ねて滅した。西晋が長安にいて、成漢が巴蜀にいる。石勒が趙魏で自立しそうで、曹嶷が斉で人心を集めている。宦官・王沈に任せて、漢を滅ぼしてはいけない。王沈をクビにして下さい」

「懐帝」が劉禅を指すと気づくまで、数秒のタイムラグがありました。
国外の脅威となる勢力まで網羅してくれて、読む側にはオトクな諫言です。内憂外患の大特集です。しかし劉聡はこれを・・・


聰以表示沈等,笑曰:「是兒等為元達所引,遂成癡也。」寢之。沈等頓首泣曰:「臣等小人,過蒙陛下識拔,幸得備灑掃宮閣,而王公朝士疾臣等如仇讎,又深恨陛下。願收大造之恩,以臣等膏之鼎鑊,皇朝上下自然雍穆矣。」聰曰:「此等狂言恆然,卿複何足恨乎!」更以訪粲,粲盛稱沈等忠清,乃心王室。聰大悅,封沈為列侯。太宰劉易詣闕,又上疏固諫。聰大怒,手壞其表,易遂忿恚而死,元達哭之悲慟,曰:「人之雲亡,邦國殄悴。吾既不復能言,安用此默默生乎!」歸而自殺。

劉聡は、上表文を王沈らに見せて、笑って言った。
「このガキどもは、陳元達に影響されて、頭が狂ったな」
劉聡は、上表を却下した。王沈らは、頓首して泣いていった。

宦官の弾劾文が出る⇒宦官が読む⇒泣いて謝る⇒皇帝が許す。
後漢末期の必勝パタンでした。

「私たちは、下らない小人です。劉聡さまの過分の引き立てのおかげで、楽しい宮廷生活を送れております。しかし、王公や朝士には、私たちを仇讎のように憎み、しかも劉聡さまをも深く恨んでいる人がいます。どうか劉聡さまの恩で、朝廷の問題を解決して下さい」
劉聡は言った。
「そいつらは、いつも狂った発言をするんだ。王沈たちが憎まれる必要はない
劉聡は、劉粲を訪れた。劉粲は、盛んに王沈たちは忠清だと褒めた。

劉粲は、しっかりした思考をせず、流される性格だ。
王沈を弾劾する気概はなく、でも王沈に味方して甘い汁を吸おうという計算もなく、空気を読んで褒めただけだろう。

劉聡は大いに悦んで、王沈を列侯にした。
太宰の劉易が参内して、王沈を列侯にすることに反対した。劉聡は大怒して、手ずから上表を破り捨てた。劉易は、忿恚して死んだ。

王沈の政治家としての功罪について、劉聡と劉易のあいだで評価が分かれたから、決裂したんじゃない。劉聡が、反射的に爆発しただけだ。もう劉聡は臨界点である。早く西晋を滅ぼさないと、心が壊れる。

陳元達は、劉易のために哭き、悲慟して言った。
「人之云亡、邦國は殄悴した。私はふたたび上表をすることができない。どうして諫言を我慢したまま、生き続けていられようか
陳元達は、帰宅して自殺した。

陳元達は、劉聡の女房役でした。衝突ばかりしたが、劉聡が、漢族と胡族のトップに立つため、導いていた。陳元達が死んだから、、漢はどこへ行くのでしょう。

大統一ではなく、三国鼎立の再現

北地饑甚,人相食啖,羌酋大軍須運糧以給麹昌,劉雅擊敗之。麹允與劉曜戰于磻石谷,王師敗績,允奔靈武。平陽大饑,流叛死亡十有五六。石勒遣石越率騎二萬,屯於並州,以懷撫叛者。聰使黃門侍郎喬詩讓勒,勒不奉命,潛結曹嶷,規為鼎峙之勢。

北地郡で、飢饉がひどくなり、人が相い食んだ。羌酋の大軍が、食料を西晋の麹昌に輸送した。劉雅は、羌酋を撃破した。
麹允と劉曜は、磻石谷で戦った。西晋の麹允が敗れた。麹允は、靈武に逃げた。
平陽郡で、大飢饉があった。流亡、造反、死去により、漢の戸籍から消えたのは、10人のうち5、6人だった。
石勒は、石越に騎2万を率いさせて、并州に屯した。石越は、懐いた人を使って、叛いた人を討った。劉聡は、黄門侍郎の喬詩を遣り、石勒に停戦を申し渡した。石勒は、劉聡を無視した。石勒は曹嶷と結んだ。石勒は、三国が鼎立したときの勢力均衡を参考にした。

漢による大統一ではなく、割拠の時代へ。
劉聡は世論が去り、漢族に叛かれることを心配していた。陳元達が、軌道修正をしてくれたから、大統一への可能性は繋がれた。陳元達が死に、割拠の方向を初めに示したのは、もともと手下であった羯族の石勒でした。皮肉だ。伏兵だ。