表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』載記の劉聡伝を訳し、胡漢融合の可能性を探る

13)長安の陥落、愍帝の羊

はじめは「西晋の領域に加え、さらに北方異民族をも統一した大帝国」として、劉淵が建国した漢です。陳元達が死ぬことで、タガが外れ、石勒が三国鼎立を再現するぞと言い出した。
劉聡が「オレは割拠政権の1つでいいや」と割り切れば、ずっとラクになるのだが、、そうはいかん。人生も組織も、拡大の一本道から逸れることは許されない。逸れたら、そこにあるのは安穏とした妥協ではない。滅亡である。

石勒を手助けする天命

聰立上皇后樊氏,即張氏之侍婢也。時四後之外,佩皇后璽綬者七人,朝廷內外無複綱紀,阿諛日進,貨賄公行,軍旅在外,饑疫相仍,後宮賞賜動至千萬。劉敷屢泣言之,聰不納,怒曰:「爾欲得使汝公死乎?朝朝夕夕生來哭人!」敷憂忿發病而死。

劉聡は、上皇后に樊氏を立てた。樊氏とは、張氏の侍婢である。このとき、4人の后のほかに、皇后の璽綬を持っている人は7人いた。
朝廷の内外は、綱紀がゆるみまくった。阿諛は日に日に盛んなった。賄賂は公に行なわれた。外征している軍団は、病気と飢饉に苦しんだ。だが後宮には、千万の賞賜が下った。
劉敷はしばしば泣いて、後宮への浪費を諌めた。

劉淵は分かっていなかっただろうが、皇帝を名乗るとは、怖ろしいことだ。曹丕が逃げ、孫権が逃げたのは、悪ふざけや謙遜ではない。
無限に力を持っても驕らず、無限に苦しくても逃げず。高い理想の実現を、名実共に目指さねばならん。劉聡は、平均以上によくできた人だろうが、もうダメだな。
忘れがちだが「皇帝の臣」も、同様にツラいらしい。「皇帝とはかくあるべき」という、あるべき論に引きずられて、心身をすり減らす運命だ。

劉聡は諫めを聞かず、怒って言った。
「この諫言は、『私を殺して下さい』というメッセージか?私のところに来ては、朝朝夕夕いつも泣いている。哭き虫として生まれてきたのか!」

泣き虫だから泣くのではなく、劉聡の治世が乱れているから泣くのです・・・おっと、つまらん当たり前の訳注をつけてしまった(笑)

劉敷は憂忿して発病し、死んだ。

河東大蝗,唯不食黍豆。靳准率部人收而埋之,哭聲聞于十餘裏,後乃鑽土飛出,複食黍豆。平陽饑甚,司隸部人奔于冀州二十萬戶,石越招之故也。犬與豕交于相國府門,又交于宮門,又交司隸、禦史門。有豕著進賢冠,升聰坐。犬冠武冠,帶綬,與豕並升。俄而鬥死殿上。宿衛莫有見其入者。而聰昏虐愈甚,無誡懼之心。

河東郡で、イナゴが大量発生した。イナゴは、黍豆だけは食べなかった。靳准は部曲を率いて、黍豆を刈り取って、残った枝を埋めた。

つくづく自分さえ良ければ、良い人である(笑)

飢えた人の哭き聲は、10余里四方に聞こえた。のちに土を削ると、(枝から採り損ねた)黍豆が飛び出したので、それを食べた。

イナゴを埋め、イナゴが土から飛び出して黍豆を食べたのか。先述のサイト「詩解」様ではそう読まれてた。しかし、遠くまで響くイナゴの「哭聲」って、何?

平陽郡の飢饉は甚だしかった。司隸部の人は、冀州に20万戸も逃げ込んだ。石越は招き入れた。

劉聡の国土が飢饉で、石勒の国土では収穫がある。人口の移動が起こるのは、当たり前です。国力と人口は、ほぼイコール。
もし天命があるのなら、劉聡の統一ではなく、石勒による分裂を望んだんだろう。そう信じたくなってしまうような出来事。

イヌとブタは、相國府門に集まった。宮門、司隸、禦史門にも群れた。ブタは進賢冠をつけて、劉聡の前に整列した。イヌは武冠をつけて、綬を帯び、ブタとともに並んだ。にわかにイヌもブタも、全て殿上で死んだ。宿衛のうち、イヌとブタが死ぬのを見て、近寄る人はいなかった。
イヌとブタを見て、劉聡の昏虐はいよいよ甚だしく、誡懼之心がなくなった。

劉聡と劉乂の和解

宴群臣於光極前殿,引見其太弟乂,容貌毀悴,鬢髮蒼然,涕泣陳謝。聰亦對之悲慟,縱酒極歡,待之如初。

劉聡は、光極前殿で群臣と宴をした。劉聡は、皇太弟の劉乂と引見した。劉乂の容貌は毀悴し、鬢髮は蒼然としていた。劉乂は涕泣して、劉聡に陳謝した。劉聡も、劉乂に応えて悲慟した。酒を浴びるように飲み、歓びを極めた。
劉聡が劉乂をもてなす態度は、劉聡が皇帝になった当初のようだった。

「縱酒極歡,待之如初」って、胸を打たれました。酒を飲みながら読んだら、泣きそうです(笑)いや、酔ったらあまり漢文は読めないので、大丈夫か。
周囲が勝手に対立させたが、劉聡も劉乂も、2人とも君子だから、相性はいいのでしょう。漢の建国直後の苦難にあって、2人とも死んでないし。劉乂と協力できたら、劉聡のプレッシャーはもっと軽減されただろうに。たとえ西晋を素早く滅ぼせなくても、劉聡は暴走しなかったはず。
劉聡と劉乂の兄弟物語があったら、孫策と周瑜よりも面白いと思う。マーケットは小さそうだが。

西晋の滅亡

劉曜陷長安外城,湣帝使侍中宋敞送箋於曜,帝肉袒牽羊,輿櫬銜璧出降。及至平陽,聰以帝為光祿大夫、懷安侯,使粲告於太廟,大赦境內,改年麟嘉。麹允自殺。

劉曜は、長安外城を陥落させた。
西晋の愍帝は、侍中の宋敞に、劉曜に宛てた手紙を持たせた。愍帝は、肌脱ぎになって羊を引いた。

そのまま四字熟語になってます。ニクタンケンヨウ。
ちなみに「ニク」は音読みです。註釈というより、豆知識だね。

愍帝の輿は、くつわに璧をはめた馬に引かせて、劉曜に出降した。
西晋の愍帝が平陽に到ると、劉聡は愍帝を光祿大夫、懷安侯にした。劉粲に、太廟に西晋滅亡を報告させた。国内を大赦して、「麟嘉」と改元した。
西晋の部将・麹允は自殺した。

劉約の臨死体験

聰東宮四門無故自壞,後內史女人化為丈夫。時聰子約死,一指猶暖,遂不殯殮。及蘇,言見元海於不周山,經五日,遂複從至昆侖山,三日而複返於不周,見諸王公卿將相死者悉在,宮室甚壯麗,號曰蒙珠離國。元海謂約曰:「東北有遮須夷國,無主久,待汝父為之。汝父後三年當來,來後國中大亂相殺害,吾家死亡略盡,但可永明輩十數人在耳。汝且還,後年當來,見汝不久。」

漢の東宮の四門が、理由なく自壊した。

孫呉を討ちそこなった曹丕が帰ると、許昌の城門が自壊した。今回は、劉乂に不幸が起こる前兆だ。誰でも分かる。

後宮の内史の女人が、男性に化けた。

陰と陽が、節操なく入れ替わるのは不吉だ。でも現実的なデメリットとして、劉聡以外の子種が、後宮にバカまかれるじゃん。もしかして、漢が乱れているのに漬け込み、下心に負けて、男が潜り込んでいたのがバレたとか(笑)

ときに、劉聡の子の劉約が死んだ。しかし指の1本が体温を保っていたので、葬ることができなかった。
劉約が蘇生すると、こう話した。
祖父の劉淵と、不周山で会った。5日経って、劉淵について昆侖山に行った。3日して、また不周山に戻った。諸王や公卿や將相で、死んだ人が全員揃っていた。宮室はとても壯麗で、地名は"蒙珠離國"だと言った。劉淵は、ぼく(劉約)に言った。
『東北には、"遮須夷國"という場所があり、長く君主がいない。お前の父(劉聡)が死ぬのを待って、"遮須夷國"の君主にさせるのだ。お前の父(劉聡)は、あと3年のうちに死に、あの世にくる。劉聡の死後、国中で大乱が起き、人々は殺しあう。私の家(劉氏)は、死に絶える。ただ10数人が生き残るだけである。お前(劉約)は現世に還り、後年にまたあの世に来なさい。再会する日は、そんなに遠くない』
と。これが臨死体験で、私が祖父・劉淵に言われたことだ」と。

約拜辭而歸,道遇一國曰猗尼渠余國,引約入宮,與約皮囊一枚,曰:「為吾遺漢皇帝。」約辭而歸,謂約曰:「劉郎後年來必見過,當以小女相妻。」約歸,置皮囊於機上。俄而蘇,使左右機上取皮囊開之,有一方白玉,題文曰:「猗尼渠余國天王敬信遮須夷國天王,歲在攝提,當相見也。」馳使呈聰,聰曰:「若審如此,吾不懼死也。」及聰死,與此玉並葬焉。

劉約は、拜辭して歸った。帰り道で、"猗尼渠余國"という国の人と、劉約は会った。猗尼渠余國の人は、劉約を漢の宮殿に引き入れた。猗尼渠余國の人は、劉約に皮囊1枚を与えた。猗尼渠余國は言った。
「私のせいで、漢皇帝は死ぬ」
劉約は断って、やっぱり帰った。猗尼渠余國の人は、劉約に言った。
「劉郎は後年に、來必見過。若い女を妻とせよ」
劉約は帰宅し、皮囊を机の上に置いた。俄か皮嚢が蘇生した。劉約は、左右の人に机の上の皮嚢を広げさせた。皮嚢には、白い玉が入っていた。白い玉に書いてあることには、
「猗尼渠余國(皮嚢をくれた人)の天王は、遮須夷國の天王(劉聡のあの世での予定ポスト)を敬信している。遮須夷國の天王が就任される歳に、また会いましょう」と。
劉約は馬を飛ばして、白い玉を劉聡に提出した。劉聡は言った。
「もし私が死んで遮須夷國の天王になるなら、私は死を懼れない」

怪談の世界で、君主の称号が「天王」だ。五胡十六国の研究者が、どう料理しているのか、または無視しているのか、ちょっと気になる。
劉聡は、漢帝としては人格が破綻しかけたが、君主業には意欲的だ。

劉聡が死ぬと、この白い玉とともに埋葬した。