表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』載記の劉聡伝を訳し、胡漢融合の可能性を探る

16)烈宗・昭武皇帝

漢族の道徳に照らして、ごちゃごちゃ諫言する臣を、全て斬ってしまった。
胡漢の融合は諦められた。ただ君主権力に、群れ集まる虫たちが残った。劉淵から引き継いだ漢は、権力者の気まぐれとパワーの原理だけで動く、原始的な軍事集団にスポイルされてしまった。

劉聡の死

鬼哭於光極殿,又哭於建始殿。雨血平陽,廣袤十裏。時聰子約已死,至是晝見。聰甚惡之,謂粲曰:「吾寢疾惙頓,怪異特甚。往以約之言為妖,比累日見之,此兒必來迎吾也。何圖人死定有神靈,如是,吾不悲死也。今世難未夷,非諒暗之日,朝終夕殮,旬日而葬。」

鬼が光極殿で哭いた。鬼がふたたび建始殿で哭いた。血が平陽に降った。廣袤十裏。
ときに劉聡の子の劉約はすでに死んでいるのに、昼に現れた。

指1本だけに体温が残り、蘇生した子である。異国の人から、白い玉をもらって、劉聡の死後の予言を裏付けた。
この時点では、また死んだようだ。忙しい人である。

劉聡は、死んだくせに現れた劉約を悪んだ。
劉聡は、劉粲に言った。
「私が病気で寝込んでいるが、怪異は特に甚だしい。劉約が蘇って怪しいことを言っていたが、最近は劉約がよく現れる。劉約は、私を迎えにきたのだろう。人の生死は神靈が定めるものだから、私は死ぬのは悲しくない。

胡漢にまたがる皇帝というプレッシャーは、劉聡をスピリチュアルの世界に連れて行った。もしかしたら物理的には、劉約は1度も蘇っていないかも。劉約への未練を断ち切れない劉聡が、語っているだけかも知れない。
子を惜しみ、父の劉淵を頼りたい気持ちが混ざり、劉聡は幻覚を見た。劉聡は幻覚を、周囲に話した。
「皇帝の頭がおかしい」
では、メンツが潰れる。劉聡は、周囲に理解を強要した。それが歴史書に記録され、何が史実だか、よく分からなくなった。そんなとこ?

まだ天下には、漢に従わない夷が残っているから、服喪をやるな。死んだらその日の内に殮(かりもがり)とし、10日経ったら正式に埋葬せよ」

征劉曜為丞相、錄尚書,輔政,固辭乃止。仍以劉景為太宰,劉驥為大司馬,劉顗為太師,硃紀為太傅,呼延晏為太保,並錄尚書事;范隆守尚書令、儀同三司,靳准為大司空、領司隸校尉,皆迭決尚書奏事。

劉曜が丞相、錄尚書とされ、輔政を命じられたが、辞退した。
劉景を太宰とし、劉驥を大司馬とし、劉顗を太師とし、硃紀を太傅とし、呼延晏を太保として、録尚書事をあわせた。
范隆を守尚書令、儀同三司とした。靳准を大司空とし、司隸校尉を領ねさせ、尚書が奏じたこと全てを決裁する権限を与えた。

太興元年,聰死,在位九年,偽諡曰昭武皇帝,廟號烈宗。

太興元(318)年、劉聡は死んだ。在位は9年間だった。
「昭武皇帝」と諡られ、廟號は烈宗である。

おわりに

はじめ劉淵を告いだ劉聡は、楽観していたと思う。洛陽を滅ぼしたら、胡漢の境界を越えた、大統一帝国がカンタンに出来ると思っていた。だが、途中でそうでもないらしいと気づいた。
まるで五胡十六国時代の人が直面すべき全ての問題、すなわち、
「漢族と胡族の関係はどうあるべきか」
「漢族の理想と、胡族の習俗はどう溶け合うのか」
などの問題を、皇帝という責任ある地位に座って、ひとりで全部先取りして、経験してしまったような人生でした。
五胡十六国に限らず、例えば北魏の洛陽遷都など、南北朝時代まで持ち越して最優先に取り組んでも、なかなか解決しないテーマに、自覚なく挑戦してしまった。それが劉聡です。

劉聡の人生の伴奏として、皇太弟の劉乂と、西晋の皇帝がある。この2つのパートナーが問題提起して、劉聡が解くという流れでしたね。
ただ時系列に書いただけの列伝のはずなのに、複数のストーリーが並行する現代小説みたいに、楽しく読めました。ちょっと長くて、まるまる1週間の月曜から土曜を使ってしまったが。091004