表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』載記の劉聡伝を訳し、胡漢融合の可能性を探る

4)司馬氏の名声と合体したい

6人の皇后と遊びまくって、政治を見なくなった劉聡。
長安で、西晋の愍帝が即位できたのは、劉聡の女狂いが原因ですね。
秦漢帝国を受け継いだ魏晋帝国の、最後の灯火を感動的に眺めていたのに、、匈奴側から見たら、そういうことですか(笑)

西晋の懐帝の利用価値

聰假懷帝儀同三司,封會稽郡公,庾瑉等以次加秩。聰引帝入宴,謂帝曰:「卿為豫章王時,朕嘗與王武子相造,武子示朕於卿,卿言聞其名久矣。以卿所制樂府歌示朕,謂朕曰:'聞君善為辭賦,試為看之。'朕時與武子俱為《盛德頌》,卿稱善者久之。又引朕射於皇堂,朕得十二籌,卿與武子俱得九籌,卿贈朕柘弓、銀研,卿頗憶否?」

劉聡は、西晋の懐帝を儀同三司として、會稽郡公に封じた。懐帝に付いてきた庾瑉らも、それぞれ秩禄を加えられた。
劉聡は、西晋の懐帝を宴席に入れた。劉聡は、懐帝に言った。
「西晋の皇帝・司馬熾さん。あなたが豫章王だったとき、私は王武子(王済)とともに、あなたと会ったよね。

王氏は、よく出てくる。匈奴の劉氏に味方した。貴族のサロンに招いて、人間関係を繋いでくれた。人脈が全ての宮廷なんだ。

王済は、私をあなたに紹介した。あなたは、
『劉聡くんの名前は、ずっと前から聞き及んでいますよ』
と言ってくれたね。
ねえ司馬熾さん。あなたは、自作の樂府歌を、私に見せた。あなたは私に、こう言ったんだ。
『劉聡くんは、辭賦が上手だってね。試しに、私の作品を見てくれ』
と。私はあのとき、王済とともに、『盛德頌』を作った。あなたは、私たちの『盛德頌』の出来映えを、いっぱい褒めてくれた。
また、皇堂で射的もやったな。私は12回ヒットさせ、あなたと王済は9回しか当たらなかった。あなたは、私に柘弓と銀研をプレゼントしてくれた。司馬熾さん、覚えているかな?」

劉聡は、なにをダラダラ喋っているのでしょう。
勝者が敗者をイビっているのか?自分の方が、たくさん的を射抜いたことを、今さら誇っているのか?
いいえ、それだけじゃないと思います。この無意味そうな会話から、ぼくは、2つのことを読み取ります。
まず劉聡は、西晋の貴族の一員だったということ。劉淵は人生のほとんどを洛陽で過ごした都会人だった。劉聡も同じだ。塞外の猿人ではない。
もう1つ。
劉聡は、懐帝との旧交を周囲に聞かせることで、地位を向上&安定させようとしている。もし懐帝が、無力で無用な被征服者ならば、いきなり捕まえて撃ち殺せばいい。だが劉聡はそうしない。かつて、子の劉粲が司馬模を殺したとき、大怒した。漢族に対して、
「わが劉氏は、司馬氏の親友だぞ。今では、むしろ上なんだぞ
と示して、漢帝国への忠誠を取り付けたい。
同姓を娶るときも、漢族からどう見られるかに、ひどくセンシティブだった。漢族からの視線を、過剰なまでに意識している。
有名人と少しでも関わったら、オレはあの有名人と友人だと喧伝して、自分を権威づけようとする。劉聡がやっているのは、それと同じである。
漢族側だけ読んだときの、西晋末の風景とは、ちょっとイメージが違うなあ。


帝曰:「臣安敢忘之,但恨爾日不早識龍顏。」聰曰:「卿家骨肉相殘,何其甚也?」帝曰:「此殆非人事,皇天之意也。大漢將應乾受曆,故為陛下自相驅除。且臣家若能奉武皇之業,九族敦睦,陛下何由得之!」至日夕乃出,以小劉貴人賜帝,謂帝曰:「此名公之孫,今特以相妻,卿宜善遇之。」拜劉為會稽國夫人。

西晋の懐帝(司馬熾)は、言った。
「私が、どうして劉聡さまとの交流を忘れましょうか。ただ残念だったのは、劉聡さまともっと早く友人になれていたらなあ、ということで」

哀れな捕虜の発言ですね。だが、内容以上に哀れを誘うことがあります。
うまく日本語になってませんが、司馬熾の一人称は「臣」です。劉聡と友人になることを「龍顔を識る」と言ってます。臣下が皇帝に使うボキャブラリですよ。屈辱的だよ、司馬氏!

劉聡は言った。
「司馬熾さんの家は、骨肉が無惨に争った(八王の乱)。なんで、こんなにヒドいことになったのかな?」
西晋の懐帝は言った。
「人間の分かることではありません。皇天の意思です。大漢帝国は、まさに天命を受けようとしている。だから、劉聡さまのために、司馬氏は自ら大陸を退場したのです。もし司馬氏が、武皇帝(司馬炎)の大業を受け継いで、九族が仲睦まじくしていたら、劉聡さまが天命を得られなかったでしょう」

セリフの末尾、「陛下何由得之」というのが、難しいのですよ。
服従モードで読むならば、「司馬氏が、大根役者のくせに、いつまでも舞台にいたら、真打の劉氏さまのご迷惑だったでしょ?だから退いたんですよ。えっへっへ」という、卑屈なノリになる。
だが、懐帝・司馬熾が白熱してきて、司馬氏の無念を当てつけたくなったら、訳語のニュアンスを変えるべきだ。
「ああ、もし司馬氏が身内で争わなければ、匈奴の劉氏なんて、まるで出る幕がなかったのに。なんて馬鹿なことをしたんだ。なんて不本意なんだ」と。

この日の夕方、宴席はお開きになった。劉聡のコレクションのうち、年下の方の劉貴人が、懐帝に下げ渡された。

6人いる皇后のうちの1人でしょう。劉氏の人権を無視した言い方をすれば、「おさがり」である。

劉聡は、懐帝・司馬熾に言った。
「これは、名公の孫である。いま特別に、お前にやろう。可愛がるんだぞ」

「名公」とは、この女の祖父である劉殷だね。劉康の後裔だという。司馬氏の方が、よほど血筋が貴いはずなのに、、

貴人だった劉氏は、会稽国の夫人(司馬熾の妻)になった。

劉聡は、はじめは司馬熾の名声に敬意を払った。つぎに、司馬熾にへりくだらせた。司馬熾は捕虜だから、そりゃ態度は小さいよね。
司馬熾が頭を下げるほどに、劉聡が上昇する仕組みである。
仕上げとして、司馬熾に貴人を下げ渡して、弟分とした。名声の吸収が完了!


今回はちょっと短いけど、
三国ファンがとても楽しめる名場面だったので、おしまい。寝よう。。
次から、また戦場に戻ります。続きます。