323-24年上、王敦の傲慢
322年、明帝が即位しました。
州がつぎつぎ陥落
太甯元年春正月癸巳,黃霧四塞,京師火。李雄使其將李驤、任回寇台登,將軍司馬玖死之。越巂太守李釗、漢嘉太守王載以郡叛,降於驤。二月,葬元帝于建平陵,帝徒跣至於陵所。以特進華恆為驃騎將軍、都督石頭水陸軍事。乙丑,黃霧四塞。丙寅,隕霜。壬申,又隕霜,殺穀。三月戊寅朔,改元,臨軒,停饗宴之禮,懸而不樂。丙戌,隕霜,殺草。饒安、東光、安陵三縣災,燒七千余家,死者萬五千人。
太甯元(323)年、春正月癸巳、黄霧が発生した。建康で出火。
成漢の李雄は、部将の李驤と任回に、台登を攻めさせた。將軍の司馬玖が殺された。越巂太守の李釗と、漢嘉太守の王載が、郡ごと東晋に叛き、成漢に降伏してしまった。
2月、元帝を建平陵に葬った。
特進の華恆を驃騎將軍にして、石頭城で水陸の軍事をすべて指揮させた。乙丑、黄霧が発生した。丙寅、霜が降りた。壬申、また霜が降りて、穀物に被害があった。
3月戊寅朔、改元した。明帝は心配があり、お祝いの儀式はストップ。丙戌、霜が降りて、野菜に被害。饒安県、東光県、安陵県で火災があり、7000余家が焼けて、5000人が死んだ。
石勒攻陷下邳,徐州刺史卞敦退保盱眙。王敦獻皇帝信璽一紐。敦將謀篡逆,諷朝廷徵己,帝乃手詔徵之。夏四月,敦下屯於湖,轉司空王導為司徒,自領揚州牧。巴東監軍柳純為敦所害。以尚書陳為都督幽平二州諸軍事、幽州刺史。五月,京師大水。李驤等寇甯州,刺史王遜遣將姚岳距戰於堂狼,大破之。梁碩攻陷交州,刺史王諒死之。六月壬子,立皇后庾氏。平南將軍陶侃遣參軍高寶攻梁碩,斬之,傳首京師。進侃位征南大將軍、開府儀同三司。秋七月丙子朔,震太極殿柱。是月,劉曜攻陳安於隴城,滅之。八月,以安北將軍郗鑒為尚書令。石勒將石季龍攻陷青州,刺史曹嶷遇害。冬十一月,王敦以其兄征南大將軍含為征東大將軍、都督揚州江西諸軍事。以軍事饑乏,調刺史以下米各有差。
後趙の石勒が、下邳を攻め落とした。徐州刺史の卞敦は、石勒に敗れて後退して、盱眙に入った。
王敦は明帝に、信璽一紐を差し出した。王敦はまさに簒逆をしようとしており、朝廷が自分を呼び寄せたとウソをついた。明帝は、手ずから、王敦を呼び寄せる詔を発行した。
夏4月、王敦は長江を下り、洞庭湖に駐屯した。王敦の従弟である王導を、司空から司徒に転じさせ、揚州牧を領ねさせた。巴東監軍の柳純が、王敦に殺された。尚書の陳氏を、都督幽平二州諸軍事、幽州刺史にした。
5月、建康で洪水。
成漢の李驤らが、甯州を寇した。甯州刺史の王遜は、部将の姚岳を遣わし、堂狼で防戦した。東晋は、成漢を大いに破った。
梁碩が交州を攻め落とし、交州刺史の王諒が殺された。
6月壬子、皇后に庾氏を立てた。
平南將軍の陶侃は、參軍の高寶に命じて梁碩を斬らせた。東晋は交州を取り戻した。梁碩の首は、建康に送られた。陶侃は、征南大將軍に進み、開府儀同三司。
秋7月丙子朔、太極殿の柱が震えた。この月、前趙の劉曜が、陳安を隴城に攻め、滅ぼした。
8月、安北將軍の郗鑒を尚書令にした。
石勒の部将・石虎が、青州を攻め落とした。青州刺史の曹嶷は殺害された。
冬11月、王敦は、兄で征南大將軍の王含を、征東大將軍、都督揚州江西諸軍事とした。兵糧が不足したので、刺史以下からそれぞれ米を徴発した。
明帝が決死の偵察
二年春正月丁醜,帝臨朝,停饗宴之禮,懸而不樂。庚辰,赦五歲刑以下。術人李脫造妖書惑眾,斬于建康市。石勒將石季龍寇兗州,刺史劉遐自彭城退保泗口。三月,劉曜將康平寇魏興,及南陽。夏五月,王敦矯詔拜其子應為武衛將軍,兄含為驃騎大將軍。帝所親信常從督公乘雄、冉曾並為敦所害。
太甯二(324)年春正月丁酉、明帝は饗宴をやらなかった。
庚辰、5年以下の実刑を許した。
術を使う李脱という人が、妖書を造って大衆を惑わした。李脱を、建康で公開処刑した。
石勒の部将・石虎は、兗州を侵した。兗州刺史の劉遐は、彭城から逃げて、泗口に後退した。
3月、前趙の劉曜の部将・康平は、魏興郡を寇して、南陽郡に及んだ。
夏5月、王敦は詔を偽造して、子の王應を武衛將軍にして、兄の王含を驃騎大將軍にした。明帝が信頼している乘雄と冉曾が、王敦に殺された。
六月,敦將舉兵內向,帝密知之,乃乘巴滇駿馬微行,至於湖,陰察敦營壘而出。有軍士疑帝非常人。又敦正書寢,夢日環其城,驚起曰:「此必黃須鮮卑奴來也。」帝母荀氏,燕代人,帝狀類外氏,須黃,敦故謂帝雲。 於是使五騎物色追帝。帝亦馳去,馬有遺糞,輒以水灌之。見逆旅賣食嫗,以七寶鞭與之,曰:「後有騎來,可以此示也。」俄而追者至,問嫗。嫗曰:「去巳遠矣。」因以鞭示之。五騎傳玩,稽留遂久,又見馬糞冷,以為信遠而止不追。帝僅而獲免。
6月、王敦は挙兵して、首都を目指した。
明帝はひそかに王敦の動きを知り、こっそり駿馬にまたがって、洞庭湖に行った。明帝は1人で、王敦の営塁を偵察してから、営塁を脱出した。将軍や兵士たちは、明帝の常人離れした行動力を、驚き疑った。
王敦は書き物をやって居眠りをしていた。王敦は夢の中で、自分の城の周囲を見ていた。飛び起きて言った。
「おい!絶対いま、黄色いヒゲの鮮卑が、オレの城に来たぞ」
明帝の母の荀氏は、燕の代県が出身だ。明帝には異民族の血が混入したから、ヒゲが黄色かった。だから、王敦が夢で見た鮮卑とは、明帝のことだ。
王敦は、夢に現れた鮮卑(じつは明帝)を、5騎で追わせた。明帝は逃げた。明帝の乗馬が糞をした。明帝は水をかけて、馬糞を冷やした。明帝の前から、行商人のおばあさんが来た。明帝はおばあさんに、七宝のムチを渡して言った。
「後ろから騎馬が、私を追ってきている。私のことを聞かれたら、このムチを見せてくれ」
たちまち追手が来て、おばあさんに聞いた。
「もう遠くに行っちまったよ」
おばあさんは、七宝のムチを追手に見せた。追手の5騎は、高級な装飾のムチをいじくり回して、その場で時間を空費した。また馬糞が冷たくなっているのを見て、もう鮮卑(じつは明帝)に追いつけないと判断した。明帝は、際どいところで、逃げ切った。
丁卯,加司徒王導大都督、假節,領揚州刺史,以丹陽尹溫嶠為中壘將軍,與右將軍卞敦守石頭,以光祿勳應詹為護軍將軍、假節、督硃雀橋南諸軍事,以尚書令郗鑒行衛將軍、都督從駕諸軍事,以中書監庾亮領左衛將軍,以尚書卞壼行中軍將軍。征平北將軍、徐州刺史王邃,平西將軍、豫州刺史祖約,北中郎將、兗州刺史劉遐,奮武將軍、臨淮太守蘇峻,奮威將軍、廣陵太守陶瞻等還衛京師。帝次於中堂。秋七月壬申朔,敦遣其兄含及錢鳳、周撫、鄧嶽等水陸五萬,至於南岸。溫嶠移屯水北,燒硃雀桁,以挫其鋒。
6月丁卯、司徒の王導に大都督を加え、假節、揚州刺史を領ねさせた。丹陽尹の温嶠を中壘將軍として、右將軍の卞敦とともに、石頭城を守らせた。光祿勳の應詹を、護軍將軍、假節として、硃雀橋の南方の諸軍事を任せた。尚書令の郗鑒に衛將軍を行ねさせ、都督從駕諸軍事とした。中書監の庾亮に、左衛將軍を領ねさせた。
尚書の卞壼に中軍將軍を行ねさせた。征平北將軍で徐州刺史の王邃と、平西將軍で豫州刺史の祖約と、北中郎將で兗州刺史の劉遐と、奮武將軍で臨淮太守の蘇峻と、奮威將軍で廣陵太守の陶瞻らを、建康に呼び戻して、首都を守らせた。明帝は中堂にいた。